最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~






「本日の晩餐は、フェルナード王子もご一緒されるそうでございます。それまでごゆっくりとおくつろぎください」

この国に着いてから使用を許されている部屋までくると、前を歩いていた侍女はぺこりとイザベラに頭を下げた。

ここまでついてくれた侍女と騎士に礼をいうと、イザベラは一人部屋へと入る。

普通ならば、自国から従者を数人連れてくるのが普通だろうが、生憎イザベラにそういった者はいない。
小国ならではというか、イザベラのお国柄というか、使用人はいるがお手伝いさんという感覚だし、従者は友達、民衆も友達、命令というよりお願い、といった形で生活してきた。

イザベラにとって、城の者達は従わせるものではなく同じ国で共に生きる者であり、友人であった。

お姫様然としていないことは、イザベラが一番よくわかっている。

ドレスの着脱も、水浴びも、部屋の片付けも、全部自分でこなしてきた。時には城の給仕の者たちと一緒にご飯を作ったり、鉱山に出向いて鉱夫たちと歌いあったりもした。

イザベラにとって、国は家族だ。

人質として政略結婚するイザベラについてきても、その者が辛い思いをするだけである。
ついていく、と言ってくれた友人たちもいてくれたが、自分のせいで要らぬ苦労などさせたくない。

だから、家族も友人も置いてきた。
歌えなくなった歌姫イザベラの、小さな覚悟である。

この故郷から遠く離れた大きな国で、イザベラは生きていく。

思うと、少し胸が苦しくなった。
窓際に置かれたソファへと腰掛けて両開きの窓を少しだけ開けると、乾いた風に乗って緑と土の匂いが鼻をくすぐる。
豊かな自然を思わせるそれに、フェルナードの美しい瞳を思い出した。

芽吹く春の色。美しい生命の色だ。

(あの人はなにを思って、なにを考えて、私を妻にと迎えるのかしら)

考えてもわかりそうもない。言葉も一言ももらえなかった。
好意などもってもらえなくても。

(……アルゴルだけは守るわ)

目の前には、超えてきたばかりの山脈がその美しい尾根を並べている。
あの向こう側に、イザベラの大好きな国がある――そう思うと、口から自然と歌が零れ落ちていった。

歌はイザベラの言葉だ。
人には聴かせられなくても、己で聴くことはできる。
生まれた頃から、鉱夫や鉱夫の妻たちが歌う歌を聴いて育ってきた。

イザベラの歌は、イザベラの心だ。

聴かせられないけれど、届くはずもないけれど、どうか届いてほしいと願いながら、イザベラの歌は山脈の向こうへと流れていく。

恐らく、明日から結婚式に向けてさまざまな準備が行われることとなる。
大国アステート公国王位継承者の式である。世に名高い軍師フェルナードが小国の姫と婚姻を結ぶとあって、注目度も高い。招待客も多く、舞踏会も盛大なものになるだろう。

考えただけで憂鬱だが、その準備に追われてフェルナードとの時間もとれなくなるかもしれない。
ならば今夜の晩餐で、少しでも打ち解けなくては。

窓の外に漏れないよう小さく声を抑えて、故郷の歌を歌いながら、イザベラはそう決意した。












「今日は晩餐をご一緒できて嬉しいです。ありがとうございます」

「そういえば、この国へ入る前に大きな鷲を見ました。長い旅の工程に疲れておりましたが、大空を旋回する勇壮な姿にとても励まされました」

「このスープ、とても美味しいです」

「これは、アステート公国で採れるムクの実でしょうか。採れたてのものはきれいな赤色なのですね。アルゴルには乾燥させたものしか出回りませんから、新鮮なものは初めて食べましたが、みずみずしいですね」

「えーと」

「……ご馳走様でした」

イザベラのためを言うと、これらすべて彼女の独り言では決してない。

目の前に優雅に腰掛け、共に晩餐を過ごすフェルナードに向けて発した言葉の数々である。

太陽が沈みきる前に侍女に呼ばれ、イザベラはここ、晩餐室へと連れてこられた。
入り口には左右に一体ずつ甲冑が置かれた重厚な雰囲気の部屋だった。
赤を基調とした壁紙には、アステートの城が描かれた大きな風景画が飾ってある。中央に置かれた細工の美しいテーブルには、美しいクロスが敷かれ、美味しそうな夕食が並んでいた。

どちらかというと無骨な料理の多かったアルゴルとは違い、その見た目も香りも優美な晩餐に思わず心が躍ったのだが、待っていたのは話しかけても返事をしてもらえない、随分と寂しい晩餐だった。

テーブルと同じ細工の椅子に腰掛けたフェルナードは、昼に身にまとっていた軍服から簡素な詰襟のシャツとズボンに着替えており、ずいぶんとリラックスしているように見える。

しかし、結局一度も言葉を返してもらえなかった。
いや、小さく頷きはしてくれるのだが、あくまでそれだけで、声を聞かせてもらえない。

昼間、恐らくフェルナードの言葉を代弁していた従者も今は席を外しており、結果、イザベラが一人でしゃべり続けるという状況に陥ったのである。

(話す価値もない、ということかしら……)

それならわざわざ晩餐を一緒にする必要もないのでは、と思わず口にしそうになり、イザベラはフェルナードをじっと見つめた。

既に外は暗く、いくつかの燭台で照らされた部屋の中で、美しいフェルナードは妖しく浮いて見える。
まるで人を誑かす悪魔のような人だ。
暗い鉱山に住まい、人々を土の闇の中へと引き寄せる、美しくも妖しい悪魔。



「……フェルナード王子」

彼にとって、イザベラとの結婚も、この晩餐も、政治的な意味合いしかなく、王子としての果たすべき義務でしかないのかもしれない。

けれど。

「私は貴方の妻として、山脈を越えてこの国へと参りました。私などが嫁いだからと、父王の愚かな所業が帳消しになるとは思っておりません。私にできることでしたら、なんだってやりましょう。貴方が私を疎ましく思っても、私はこの国に骨を埋める覚悟で嫁いできたのです。……どうかそれだけは、お忘れくださいますな」

目の前の美しい悪魔がどのような人か知らない。言葉も交わしてもらえない。

けれどイザベラは、この男に嫁いできたのだ。
いうなれば、イザベラとアステートを繋いでいるのはこの男の存在だということ。

無視をするならすればいい。けれどそうしたところで、イザベラは消えたりしない。

フェルナードはやはり何も言わなかった。

恐れ多いことを言ってしまったと、震えながらも拳を握って耐えるイザベラをじっと見ていた。

見て、そして。

黙って部屋を出て行ってしまった。





「……これは、本格的に嫌われたわね」

無遠慮な女だと呆れられただろうか。

言葉を飾ることを知らない女だと思われただろうか。

それとも、母国を守るためにいけしゃあしゃあと媚を売る女だと、嫌悪されただろうか。

道のりはまだまだ長い。
イザベラはお行儀悪く背凭れにもたれると、深い深いため息を吐いた。



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