最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~
「……聞いていらして?」
ステラ嬢の怪訝な声にはっとなる。
気付けば東屋のテーブルで紅茶とスコーンをご馳走になっていた。東屋のすぐ傍には、がたいのいい使用人が二人とステラ嬢の侍女が控えている。
向かいに腰かけているステラ嬢の顔は見事に不機嫌になっていた。申し訳ない。
「ごめんなさい。素敵なお庭につい見惚れてしまって」
当たり障りのない言葉で誤魔化したが、自慢の庭を褒められてステラ嬢もまんざらではない様子である。そういうところはとても素直で可愛らしいと思う。
「そうでしょう。フェルナード様がよくお散歩をされるという庭に似せて作らせたんですの」
ふふんと得意げに鼻を鳴らすステラ嬢だが、あのフェルナード王子が庭を散歩しているところなどイザベラは見たことがない。
もしかしたら知らないだけかもしれないが、あの王子ならお庭の散策より、どちらかというと馬で野を駆けていきそうなイメージである。勿論、彼のような美しい人が美しい庭を散策されるというのなら、きっとその様子は一幅の絵画のようなのだろうが。
「王宮への出入りを許されたお父様の家臣が言っておりましたの。フェルナード王子は庭に咲く美しい花々を眺めるのがお好きなのよ。時々その花を摘んで、王妃様であらせられるお母様に贈っていらっしゃるの」
益々イザベラの知る王子からかけ離れた。
美しい花々より、野うさぎのシチューのほうが好きそうであるし、狩った鹿を贈る方が彼らしい気もする。
(……恋するお姫様の要求に応えて、作り話でもしたのかしら)
まあそのあたりだろうな、と予想する。
実際は、接点のないフェルナード王子の王城での様子を王宮に出入りしているからという理由だけでせがまれたロセ・ファンの従者が致し方なく話を作って聞かせたというわけである。
「――聞こえていたかしら。フェルナード王子は、美しい花がお好きなのよ」
のんきに紅茶を啜っているイザベラに、ステラ嬢が恐ろしい笑みを浮かべて言った。
その冷たい声音に、なるほど、とイザベラは納得する。
はじめから、そういう流れに話を持っていきたかったのだろう。
「わたくし、聞いたことありますの。あれは二年ほど前だったかしら。王子には、恋い慕うお相手がいらっしゃるって」
恋敵の話であるはずなのに、ステラ嬢は何故か鼻高々に話しをしている。
(悲しくはないのかしら)
同じ人を好きな者同士がこうして紅茶を楽しむ場で、片方がもう片方を貶めようとする。
この話の内容は、自身にも刃となって返ってくるだろうに。
だってイザベラは今、とても悲しくて辛い。
サムエルから聞いていたとはいえ、フェルナードから熱烈ともいえるものを受け取ったイザベラは、心のどこかで彼も自分を好いてくれたのでは、と考えていたのだ。
うぬぼれだとしても、彼の瞳に、彼の指に、嘘なんてひとつもなかった。
(……でもやっぱり、彼に愛している人がいるのは本当なのね)
その事実はまるで茨のようだった。
フェルナードを想うイザベラの心を容赦なく締め付けて、その棘で傷つける。
(……つらい)
思わず胸のあたりを握り締めたイザベラに気を良くしたステラ嬢が、楽しそうに声を上げる。
「皆、一様に噂しておりましたわ。身分の差がおありで、すぐには迎えにいけないお相手なのだと。当時、王子はよく城を空けていらしたのだけど、その尊い身分をお隠しになって、その方を影ながら見守っていらしたそうよ」
ステラ嬢の言葉が、じりじりと刃となってイザベラの心を傷つけていく。
「貴方のような裏切りの姫など、はじめからお呼びじゃないのよ」
わかっている。
そんなこと、この国に足を踏み入れたときからずっとわかっていたことだ。
「……己を恥じて自らアステートから出て行くかと思えば、恥知らずにも王子のお傍で媚を売って」
忌々しげな声だった。
最近のイザベラの所業のことを差しているのだろう。
なるほど、〝イザベラ姫のメイドの真似事〟は、城でも噂になっていたことだ。彼女の耳に入っていても不思議ではない。
空になったカップに、側に控えていた従者が紅茶を注ぐ。
それをうっそりと眺めてから、ステラ嬢は顔を上げた。
「だから貴方には、最後まで裏切りの姫として王子の前から姿を消していただくわ」
ステラ嬢が言い切らないうちに、イザベラは頭に強い衝撃を受けた。
紅茶を注ぐために側に立っていた使用人が、拳を振り上げてイザベラを殴りつけたのである。
痛みと衝撃で視界が揺れる。
その視界の中で、ステラ嬢が楽しげに微笑んでいるのが見えた。
「貴方はたった今から、この国を荒らす山賊達と共謀して、西の国へ情報を売る裏切り者になるの。そしてこのアステートを貶めた者として、永遠にこの国から追放されるのよ」