最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~





『その後の戦で、私は声を失った。私に傷を与えたのは確かにエンデルだが、彼に恨みはない。貴方の歌声をいたずらに奪った私への、天から与えられた罰だとしか思えなかった』

小さな黒板に語られる、長い話だった。
何度も何度も消しては書いてを繰り返し、度々悩んでは、伝える言葉を書き直していた。
イザベラは予想外の告白に、どう反応していいかわからない。

あの声がフェルナードであったこと、彼が影ながら見守っていた女性は実はイザベラ自身であったこと、そして彼が、己の傷をイザベラから歌を奪った罰だと思っていること――。



「私にあんなことを言って罰を受けたから、後悔しているの?」

意地悪な言い方だ、と思ったが、気付いたときには既に声に出していた。
フェルナードはイザベラの瞳をじっと覗き込んで、チョークで言葉を紡ぐ。

『……世界から、私から、三年も貴方の歌声を奪ってしまったことを』

悔いていた。
イザベラの歌を声を聴くことができないと知ったときの、あの絶望にも似た想いが。
そして歌えなくなったことに傷ついているイザベラを見たときの、胸を掻き毟りたくなるような後悔が。

『貴方と過ごせた時間は、私の今までの生涯の中で最も輝いている。貴方は歌えなくても、私の光だった』

そう黒板に書いたフェルナードの耳が赤くなっている。
イザベラは、どうしようもない気持ちが込み上げてくるのを感じていた。
真っ赤な耳を晒していることに気付かず、こちらを見ようとしないフェルナードの横顔をじっと見つめる。

愛しさで、どうにかなりそうだった。


「……私、また歌えるようになったの」

そう小さな声で囁いたイザベラに、フェルナードがそっと視線を向けてくる。
まるで叱られるのを待つ犬のようではないか。
ただただかっこよかった筈のフェルナードが、今は可愛く見えて仕方がない。

「今まで皆に聴いてほしくても歌えなかったから、これからその分が爆発するわ。どこでだって歌うし、誰にだって聴かせちゃうと思う。それでも、許してくれる?妬いたりしない?」

小首を傾げて訊ねてくるイザベラに内心で悶えながら、フェルナードはゆっくりと頷いた。

「本当?」

少し信用がならないので重ねて聴いてみると、『善処する』と返ってくる。
それがおかしくて、イザベラは笑った。

「本当にどこでだって歌うよ。貴方の寝室に潜り込んで、眠る貴方を歌で起こしてしまうくらい」

それがイザベラの返事だった。
フェルナードの告白には確かに驚いたが、あの程度の罵倒で歌えなくなってしまったのはイザベラの弱さだ。
もしかしたら、あの時無意識に気付いていたのかもしれない。あの罵倒が、フェルナードから発せられたものだと。
あの時、一目見て恋をしてしまったフェルナードに歌を下手くそと言われてしまったことが、イザベラにとって衝撃だったのだ。

『許されるなら、寝室に潜り込むのではなくて』

フェルナードのチョークが動く。

『共に朝を迎えてほしい』

そうして今度こそ耳だけでなく首まで真っ赤になったフェルナードの横で、イザベラも沸騰した。



少しして、がちがちに固まったままイザベラとフェルナードは天幕の外へ出ることにした。

双子が天幕越しに野次馬さながらに大きな声で野次を飛ばしてきたからである。

主に「イザベラ姫、服ちゃんと着てます?」「それが怖くて中に入れませんよ~」である。それを聞いたほかの兵士達の笑い声も聞こえて、相当居たたまれなかった。

剣を抜きかけたフェルナードをなんとか宥めて、その頬にそっとキスをする。なんだか今は、彼への想いが溢れ返ってどんな大胆なこともできそうな気分だった。
フェルナードが呆気に採られた後、ぎゅっと眼を閉じてイザベラから顔を離した。
顔は真っ赤であるが、いやだったろうかと心配になったイザベラに、フェルナードの手が伸びる。ぎゅうと抱きしめられて、手を繋がれた。

フェルナードの唇が、ゆっくりと動く。

『いこう』

言葉が短くゆっくりはっきりと紡いでもらえれば、イザベラでも読むことは容易い。
それにこくりと頷いて、はたと気付く。

「やだ、ミカエルに聞いたの?完璧に読めるようになるまで秘密にしててって言ったのに」

イザベラがフェルナードについてメイド紛いのことをしていたのも、彼のために読唇術を習得したかったからだ。彼の語り方や発音を一度も聞いたことのないイザベラには難しいことだった。聞きなれていれば、口の動きだけでまだ読みやすかっただろう、とミカエルや双子には言われていた。

『その気持ちだけでうれしい』

フェルナードが、酷く美しい笑みを浮かべてそんなことを言う。
イザベラは卒倒しそうだった。





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