最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~
『イザベラ』
手紙を開けていたイザベラの手を、フェルナードがそっと握った。
気付けば、エンデルとベルがいなくなっている。エンデルも多忙な身で、短い滞在時間である。それでもベルを口説くために時間を割くのだから、相当な本気が窺える。
『庭に出よう』
ゆっくりと動く唇に、勿論、とイザベラが微笑み返す。
主人が庭に出るならば、と双子は馬の世話をしにいった。イザベラが滞在するようになって、湖の城は一気に活気付いた。厨房はいつもいい匂いに包まれているし、警護の兵士達もいるので、使用人用の部屋もほぼ埋まっている。
昼間はイザベラがフェルナードから贈られたピアノを弾きながら歌を歌ったりするので、この湖の城で働きたいと申し出る者は後を絶たない。
外の空気は冷たいから、とあの大きな外套でイザベラを包んで、フェルナードはゆっくりと庭を渡った。
あの小雨が降る日、初めて二人が触れ合った東屋へとイザベラを案内する。
あの時は枯れ葉や蔦で覆われていたここも、常に柔らかなクッションが置かれ、整備の行き届いた場所になっている。
東屋の向こうに広がる湖は広大で、まだ日の高い今は太陽の光が湖面に反射してきらきらと輝いていた。
「なあに、どうしたの?」
常になく畏まった様子のフェルナードに、イザベラが首を傾げる。
そんなイザベラに、フェルナードは薄く微笑みを返し、二人の間で使い慣れた黒板が取り出された。
『初めてここを訪れたとき、この城について話をしたのを覚えている?』
勿論覚えている。この場所が、アステートの始まりの場所だといわれていること、歌声の美しい鳥をこの城に閉じ込めて、一生愛でた神話が残っていること。
『イザベラはまるでその鳥のようだと思った。私の祖が生涯かけて愛でるほど美しい歌声を持った、愛しい小鳥。……祖の血に抗えず、私は貴方を閉じ込めてしまうのではないかと』
じっと新緑の瞳が向けられる。この瞳にこうして見つめられたのも、もはや数えきれないほどだ。
『貴女を縛り付けてしまうのではないかと、少し恐ろしい。子が出来て、貴女からますます自由を奪ってしまったような気がする』
フェルナードは、時々こんなふうになる。
まるでイザベラに罪の告白をしているような顔で、裁きを待つようにイザベラの手に縋って。
イザベラには言えない後ろ暗い秘密があるのだろうか。それとも、イザベラの想いを確かめたいのだろうか。
その度、イザベラは微笑んで、小さな声で歌うように想いを紡ぐ。
「ねえ聞いて。私、貴方が大好きなの。貴方の妻になれて、貴方の子の母親になれて、本当に嬉しいの。閉じ込められたなんて考えたことない。私は、自分から貴方に飛び込んだのよ、ねえ、一生掛けて愛してって」
縋るように握られていた手を、少し膨らんできたお腹に導く。
はじめは恐々だった。
ずっと戦の中に身を置き、軍神と讃えられてきた血だらけの手で、赤ん坊に触るのはこわい、と。
フェルナードがそう言うならあまり無理に触らせないほうがいいかもしれないと、イザベラも触って触ってとねだることをやめた。とはいえ、毎日のようにちらちらとお腹を気にするので最近では必ず彼にお腹を撫でてもらいながら眠ることにしている。
フェルナードの瞳が少し揺らめく。
彼がこんな顔を見せるのも、イザベラにだけだと知っている。
イザベラはその咽喉の傷にそっと唇を寄せた。
声は出なくとも、いつも多くの愛を伝えてくれる、大切な彼の傷。
「この子が生まれてきたらきっと証明してくれるわ。私が貴方に愛されて、どれだけ幸せか」
子供が産まれれば、子守唄ばかり歌うことになるかもしれない。
けれど恋の歌も変わらず歌っていたいとも思う。
そうして彼に、この想いの全てが届けばいいと、イザベラは祈るようにフェルナードの唇に口付けた。
END