運命なんてありえない(完結)
カメラを顔から下ろす彼女に左手を差し出すと躊躇いながらも左手を出してくれたので、引っ込められる前にガシッと掴む
立ち上がらせた彼女の耳元でおまじないの言葉を口にする
「思い出してください俺のこと…」
5年前のあの日のことを…
俺の存在を…
あの言葉が
今でも俺を走らせ続けていることを
前半が終わった時点で俺が決めたトライは2本
いつもと同じペース
レギュラー陣が集まっても楽をさせてくれない
選手層の厚さ…これがこのチームの強さ
ハーフタイムに観客席の杏さんに目をやると必死でノートパソコンをいじっている
カメラに数種類のレンズに三脚にノートパソコン…彼女の鞄は重そうだな
後半に3本のトライを決めることができた俺は解散後、杏さんとの食事に行くべく自室に戻りダッシュでシャワーをして服を選ぶ
学生時代から基本的にジャージかスウェットで過ごしてきたから服が極端に少ない
杏さんがスーツなのでさすがにジャージやスウェットで隣を歩くのは申し訳ない
結局、唯一持っているデニムと白のTシャツに紺のジャケットを羽織る
今度服買いに行かなきゃな…
ロビーに下りるとソファで眠る杏さんの姿
よく眠っていて起こすのが忍びないので隣に座る
時間を忘れその綺麗な寝顔を見つめる
「…ん……はっ…ねてた!」
目を覚ました杏さんはジャケットの左ポケットを探る
「あ、杏さんおはようございます。今18時10分ですよ」
壁に掛けてある時計を確認して時間を教える
「1時間も寝てたなんて…ごめんなさい…起こしてくれたら良かったのに」
と言われましても、あなたの寝顔が綺麗すぎてずっと見とれてましたとは言えず
「気持ち良さそうに寝てたし、可愛い寝顔も見れたし、ちょうど夕飯にいい時間になったし問題ありませんよ」
と、それらしい理由を付けて立ち上がり「さ、行きましょう」と手を差し出し彼女を立たせると、彼女の脇に置いてあった重そうな荷物を自分の肩に掛ける
これは女性が1日持ち歩いてたらキツイだろうなぁ
「あ、荷物重いから私持つのに…」と自分の荷物を取り返そうとする杏さんに「重いから俺が持つんでしょう」と有無を言わせない返事をする
困った顔の彼女の手を握り直し、まだ陽の落ち切ってない外へと歩き出す