勘違いも捨てたもんじゃない
「ちょっ、ちょっと…」
武蔵さん、来てるって言いましたよね?
「寝かしつけてくれ。前みたいにこうして抱きしめて、寝かせて欲しい」
え、寝かしつける?……そんな、今更、寝る時間なんてないですから。
「あ、あ、安住さん?駄目ですよ?」
もう、私に収まるように抱き着いていた。…呆気に取られて声も出ない。確かにこうして頭を撫でていたらすぐ寝てしまうようだけど…。急いで来てくれているだろうから、30分もしない内に武蔵さんは来るだろう。それだけの時間でもこうして眠るつもりだろうか…。
「安住さん?離してください…」
返事をしない事が寝ているとは限らない。解らなすぎて判断がつかない。…くせ者なんだから。
「もう眠れる時間はありませんから」
「…ドキドキしてるな。何にドキドキしている」
話、聞いてます?心臓が跳ねた。て言うか、…ほら、起きてるじゃない。びっくりして更に強くドキドキし始めてしまった。
「生きているからドキドキしているんです、当たり前です。それより…」
「その言い方が普通のドキドキじゃ無いと言っているようなものだ」
…また、そんな事を。
「わざとドキドキを使って答えた。実は、それは私に印象付ける為だ。君は無意識に駆け引きをしている」
…そんなはずは無い。上手く言いくるめられたりしないんだから。
「もう。寝るつもりなら寝てください?」
寝る気もないのに。…引き込んで…。
「こうして私が強く拘束してしまったら、武蔵が来ても部屋に入れないんだよね。君を離さなければね?」
「安住さん…」
「呼び出しても出ない。暫く待っても君は一向に返事もしない。武蔵はどう思う?…どうするかな」
「そんな事…」
カーディガンのポケットを探り、携帯を取り出し電源を切られた。
「こうしておいたらどうなる?ドアは開けない。連絡しても携帯は切られている。君は、一体何をしているんだと思われる」
「安住さん!…もう…いい加減にしてください」
肩を押して身体を離そうとした。男の人の拘束力は強い。びくともしない。…いざとなったら抜け出せない。…その通りだ。
「フ……ハハ、冗談だよ…。君が武蔵を呼んだからだ」
ムクッと起き上がった。バスローブを脱いで服を着始めた。
「ソファーに居るから」
はい?
…立ち姿はシャンとしている。
「あ、この水は貰う」
一体、何?…それに、さっきの駐車場での事、あの女性とは…何を、…。
ジャケットを腕に掛け、寝室を出て行く安住さんの後を追った。あ、携帯、電源入れなきゃ。
ふぅ、と重い息を吐き、腰掛けていた。
膝の間で持たれたボトルの水を口にする。見ていると疲れているのは疲れているようなのに。
「…無理、しなければいいじゃないですか…」
「ん?無理は承知の上だ。そうじゃないと会えない」
はぁ、何、それ…。それって普通に…殺し文句よね。そうまでして来てくれたなんて、って。…しかも怠そうに少し乱れた髪で下から見られてるなんて…。有り得ないくらい色っぽいでしょ。…。
「安住さん?せめて、横になっていたらどうですか?」
私、嘘つきにならない?ソファーにこうして座られていては、具合が悪そうと言った事、部屋に入れた言い訳みたいになるんじゃない?
…今また横になれなんて、自分を擁護するためみたいで…姑息かな。
「もう眠くは無いんですか?」
「ああ。頭を撫でてくれなかったから。眠れ無かった」
「…そうですか」
関係ないと思う。眠たくなれば眠っちゃうから。…もう。武蔵さん、早く来て、連れて帰ってー。
ピンポン。来た!
「来たようだな、フ、流石に早かったな」
…当たり前でしょ。
「はい、どうぞ」
「悪あがきをしよう」
え、はい?…あ。…や。
ついて来ていたんだ。後ろから易々と抱きしめられた。…駄目だ、これではまた安住さんの香りが僅かにでも移ってしまう。
ピンポン。…上がって来た。早く出なくちゃ怪しまれてしまう。
「離してください。遅いと何事かと…」
「疑われる?疚しく無いのなら出るのが遅くても問題無いんじゃないのかな」
ピンポン。
「ぁ…は〜い!」
返事をした。身体は解放された。玄関に走った。モニターも見ず飛びつくように開けた。ドアを開けると武蔵さんが立っていた。これで知らない来訪者だったなんて事なら困ってしまうところだ。
「武蔵さん…」
「真希…あいつは、寝てるのか」
「ううん、起きてる。帰る準備をしてる」
…ちょっとの隠し事。平和の為の誤魔化し。
…良かった。話に合わせたように安住さんはリビングに戻って上着を着ているところだった。
肩を上下させ、衿を整え前を合わせていた。
これだとリビングのソファーで休んで居たようにも取れる…。
…。
「若、帰りましょうか」
「ああ」
「車は私が運転します」
「武蔵は…置いて来たのか、車」
「はい、タクシーで…」
「流石だな。では、車を取りに来るような事はしなくていいから、ここにまた来なくていいって事だよな?
では帰ろう。世話をかけたな、…高鞍さん」
「…おやすみなさい」
「おやすみ」
武蔵さんは解らない程度に少し手をあげた。
言葉や態度にそれぞれ感情が隠れているようで…淡々としているのが逆に恐かった。
安住さん…何…武蔵さんにもう来る必要は無いみたいな言い方をして。
…はぁ、帰った…。帰るとなったら呆気ないものだ。…疲れた。それにしても気がつかなかったな…。駐車場の横に銀杏の木があったなんて。
…知らなかった。