勘違いも捨てたもんじゃない

ここに来てしまう事…、習慣になってしまわないか何だか心配になって来た。どこか、何だかほっと安らいでしまうのよね。
銀杏の葉はもう落ちてしまっていた。楓は鮮やかに紅を増していた。一刻一刻、季節は着実に進んでいる。

勝手にシートを捲り、中を覗いて見た。
あ、何となく厨房や、フロアになる場所が解る。工事は急ピッチ、着々と進んでいるようだ。早く造りたいって、無理を続けている…。そうに違いない。

……ん?誰か歩いてる。枯れ葉を踏み締める音が遠くから聞こえてきた。…まさかね。そんなに偶然は重なるものでは無い。でも…。

音のする方を振り返ろうとして、いきなり中に押し込まれた。…えっ?急な事に声も出なかった。直ぐ様、口を塞がれた。ん゙ぐ、何?…こんな乱暴なこと、冗談でしてるとは思え無い。むしろ嫌な予感しかしない。ん゙…ん゙………誰…。

「…久し振りだね、…高鞍君…」

…!ん゙ん゙ん゙。その声にゾワッとした。密着した後ろから聞こえた声。背筋に悪寒が走った。聞き覚えのある声だ。嫌なモノが一気に甦った。

「ああ…どうやら思い出してくれたみたいだね。嬉しいよ。ちょっと待ってくれるかな」

後ろ手に手を揃えられ掴まれた。

「や!か、係長…一体…」

カウンターに手を伸ばした。後ろでビリビリと引き裂く音がした。ん゙。口に粘着テープを貼られた。グッと押さえられた。ん゙ん゙。頭に何か嵌めてきたから首を振ったがアイマスクをされた。一瞬の事だった。
心臓が早鐘を打ち始めた。どういうこと?
マスク…用意していたんだ。私がここに来ている事、偶然知ったに違いない。あぁ……粘着テープは偶然ここにあったのね…。
……一体、何年経っていると思っているの…、今更、何。私は被害者よ?こんなことをして何をするつもり?……恐い…。

「あぁ、丁度いい椅子があるじゃないか。こっちに来てもらおうかな」

ゆっくりと後ろから押すようにされ歩かされた。見えない中、歩くのはそれだけでも恐かった。動けないと思っているのだろう。手を離すとガタガタとそれを広げているようだった。きっとあのディレクターチェアーだ。肩を押されて座らされた。これは…やっぱりあの椅子。あっ。シュルシュルとボウタイのリボン結びを解かれた。

「ん゙ん゙!」

嫌っ。何をするつもりなの。

「借りるね。痛くしないから」

後ろ手にグルグルと腕を縛られた。こんな…ん゙ん゙ん゙ー。嫌、嫌、恐い。もう、二度とあんなことはされたくない…気持ち悪い。誰か助けて。ゔゔん゙ゔー!ん゙んー!!…ん゙ー!

「煩くしないでよ…暴れないでくれるかなぁ。ちょっと話がしたいだけだから。脚まで縛られるのは嫌だろ?ラッキーだよね…ここには痛く縛れる物は沢山あるんだよ?」

…恐い。何も見えない事が尚更恐い。心臓は飛び出てしまいそうなくらいドクドク拍動が強まってる。声にならない声で唸ってみても弱すぎる。誰にも聞こえはしない。

……え?…な、に?空気が動いた。

「はぁ、本当、久し振りだ…」

どうやら自分の分も椅子を広げ座ったようだ。
傍で気配がした。私は一生会いたくも無かった。

「僕ね、あれから、高鞍君が辞めてからね、暫くして会社、辞めさせられたんだよね。……ひっそりと。何故だか解る?女子社員のね、別の子にも、高鞍君にしてたような事してたんだ。そしたらその子がね、…最悪だよ、チクったんだよね、僕よりもっと偉い人に」

知らなかった。…最低な係長。辞職させられたんだ。

「君のした事はパワハラ、セクハラだってね。会社に居られなくなってしまったよ。あの子は強い子だったんだねぇ。僕とした事が見誤っていたよ。君みたいに、大人しく何でも従ってくれて、静かに辞めてくれたら良かったのにね」

…確かにあの頃の私は弱かった。でも従っていた訳ではない、それは違う……もう、気持ち悪い、嫌。身勝手なこと言わないで…。
………何?静かになると余計恐い。

ひっ。

「高鞍君だってすぐに解ったよ。僕は暇でね。電車にも乗るんだ。行く宛も無くボーッと乗ってる。離婚したし、会社に行ってる振りもしなくてよくなったからね」

…近い。声が直ぐ近くでしたことに心臓が飛び出しそうなくらい…尋常じゃないほど速く拍動した。自由業でもしているのか。日中はフラフラしているのか。…何をしていようが興味は一切無い。知りたくもない。

「見かけたんだ。見間違うはずはない。後をつけたらこんなところに来た。ここに来てたら、いつか会えるだろうと思ってね。ここって、お誂えむきだよね…暗くなる頃から来てみてたんだ。そしたら…」

いつ居たんだろう…あぁ、…ここは…こんな事で来れなくなってしまう場所にしたくない。
…真っ直ぐ走れば外に出られるかしら。とんでもない方向に走ったら…それでもシートの外には出られるかも。ボコボコしているから躓いてしまう事は目に見えている。所々にある枠組みに引っ掛かれば転んでしまう。でも…躊躇していては、この先何をされるか解らない。もうそんなに猶予はないはず。大人しく座ってなんか居られない。この状態で脚なんか縛られてしまったら本当に動けなくなってしまう。そしたら…抵抗は出来ない。

「はぁぁ、暫く見ない間に…いつの間にこんないい女になったんだ?彼は居るのかな…居るんだよね、だからこんなに…益々綺麗になったんだ。…艶っぽいよね、…凄く…凄くいいよ…綺麗だ」

悪寒がした。ゾクッとするほど聞きたくない嫌な声。気配が近い。髪に手が触れた。ビクッとした。髪を摘んでる?息遣いがする…嗅いでる?…嫌、止めて…。気持ち悪い…誰か通りかかって。…助けて。お願い…誰か来て。嫌、どこにも触らないで。そう思って頭を激しく振った。ゴツンと音がして何かに当たったようだ。

「ぁ痛ッ!」

どうやら顔にでも当たったようだ。離れた気がした。もうどっちがどっちでもいい。今しかない。立ち上がって前に走った。

「あ゙、待て!こら」
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