勘違いも捨てたもんじゃない

感覚が解らない。
追われる人間で、待てと言われて待った人が居たらお目にかかりたいわ。ドラマの犯人だって拳銃を発砲されても止まらないでしょ。
はぁ…良かった。私、まだ余裕があるみたい。
流石に若い頃とは違うわね。恐くてもただ震えている訳にはいかない。今度こそ…何としても身を守らないと。…好きにはさせないから。

目隠しで走るなんて無謀だ。直ぐのことだ。平衡感覚も無い。ヒールが土に刺さる。ヨタヨタした。もういつ転んでも可笑しく無い。バランスを崩した。身体が斜めになった。そんな足取りだ。あっ。ザーッ。
何かに掛けてあったのだろう。シートに縺れ、手を付く事もできず、体から倒れるように転んでしまった。…痛い。もう、こうなってはどっちに行ったらいいのか方向が全く解らない…。このままではすぐに捕まってしまう。そうなったら今度こそ何をされるか解らない。怒らせてしまってる。転がってみた。この方向で外に出られないだろうか。とにかく必死だ。せめてアイマスクでも、粘着テープの端でもめくれないものか。顔を肩に擦り付けて見るけど、ちっともいいところに当たらない。

「…はぁ、暴れないでねって言ったのに」

ひっ。来た…。

「よっこい、しょ」

抱えるように持ち上げられた。何とか逃れたくて暴れた。ん゙ー、ん゙ー、嫌、嫌、絶対嫌。あなたになんか、お姫様抱っこされたくない。可能な限り身体をよじりバタバタし、唸り暴れた。

「ちょっとー、だから暴れないの。僕、鼻がズキズキ痛いんだよ、高鞍君のせいでね」

鼻に当たったんだ。尚も脚をばたつかせ暴れ続けた。

「ほら大人しくして、ね?まだ話そうよ」

あ、また、奥まで連れて行かれてるの?話なんか無い。話なんかしないくせに。ん゙ーん゙ー。…ん゙ー!

「もう煩いよ…」

…恐い。声のトーンが急に変わった。ザッ。乱暴に、投げるように下ろされた。…固い、だけど、痛くない。何か袋のような物の上?…あ、奥の角に並べるように置かれたセメントの袋の上かも知れない?そうだ、…匂いがそうだ。

「僕はね、荒っぽくするのは好きじゃないんだ。知ってるよね?僕、凄く優しくて…丁寧だったでしょ?」

…もう、危険だ。嫌な空気だ。首元に手が触れた。ブラウスをグッと両手で掴んだのが解った。……嫌。ビリーッ、ビリッ。ビリッ…。薄っぺらいブラウスの布なんて儚いものだ。一気に引き裂かれた。もう駄目。ん゛ーん゛ーん゛ーっ!嫌、嫌、嫌。

「はぁ…。破ったりするつもりは無かったんだよ?僕はこんな風なのは好きじゃないんだよ、本当だよ?こんな暗くて汚い場所でごめんね。…高鞍…あぁ…綺麗な肌だね…白くてさ…しっとりしてる…」

肩を押さえつけられた。胸元にヌメッと冷たい感覚がした。…舐められた、…ザラついた舌が触れ続けた。唇が少し触れ、チクっとした。…い、や、…触れないで。止めて。お願い、これ以上、どこにも触らないで。ん゙ーん゙ー、唸り暴れた。

「バサッ!」

奇跡だと思った。シートを捲る音…。駆け寄る足音がした。…誰か気が付いてくれた。助かった。

「何してる!」

係長の顔が近づくのを息遣いで感じた時、誰かが勢いよく引き離してくれた。ヴーッと言う痛みに耐える声。ドスッという音がして、呻き声が聞こえた。…誰?どっち?

「…テメェ、コラ、何してやがる。死にたいのか、ぁあ゙っ!…テメェみたいなクズの一人や二人、殺っちまう事なんか簡単なんだぞ、ぁああ゙。次は脚折るか?ぁ゙あ゙!何なら立てなくしてやってもいいんだぞ。ほら、…ほら。どうした。腕一本で済んで良かったと思え。いいか、二度と近づくな!次見たら殺すからな。脅しじゃない。本当に殺す。とっとと消えろ!」

声の合間合間にバタバタと転がるような音がしたり、ドスッと鈍い音がした。何が起きてるんだろう。大丈夫なんだろうか。…でも、…声。この声。

「ひっ、も、もう、許してください。もう二度と近づきません、こんな事もしません。あ゙あ゙ー。許してください、お願いします。お願いします!」

…係長の声。怯えて必死だ。バタン、バタンだったり、ザーッと滑るような音だったり。ドサッと倒れるような音がしたり…続いている。恐いけど、今は見えなくて幸せかも知れない。

パタ、パタと途切れるような足取りが小さく遠ざかって行って静かになった。

「フゥー」

息を吐く音がはっきり聞こえた。
ジャリジャリと足音が近づいて来ていた。…係長?…それとも…。…解らない。身体をよじって音のする方に背を向けた。俯せた。
…あ。…香り。……この香り、間違いない。
背中から腕を回され抱き起こされた。
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