勘違いも捨てたもんじゃない

そうだ…。

「あ、ごめん、もう一つ頼みがあるんだけど、いい?」

「はい?」

「今、手を入れた内ポケットに四角い小さいケースもあったと思うんだけど」

「あ、はい、確か他に手に触れる物がありました。名刺ケースです?」

「それ。出して欲しいんだ」

「今ですか?でも、…」

「頼む、俺は手を入れられても全然大丈夫だから」

ちょっとの間戸惑っていたが、頷いてまた女性が手を入れた。

「これですね」

名刺ケースを取り出した。

「そう、それから名刺を取り出してくれる?」

「は、い?」

解るよ、その疑問。今要る?って。説明がないんだからな。
一枚取り出してくれた。

「で、ケースは外のポケットでいいからしまって」

「はい…」

揺れて密着度が増して、抱き着くようになりながらも、悪戦苦闘してやっと入れたようだ。

「あ゙、あの…ごめんなさい、こんな…」

「いや、いいんだこっちは大丈夫だから。で、その名刺は君のポケットにしまってくれる?」

「…え?……あ」

顔を上げて俺を見た。

「フ。俺、武蔵って言います。書いてあるから後で見れば解るけど。携帯も書いてある」

「は、い?」

「○○~、○○~…」

「あ!大変。私、降りなきゃ」

「あ、じゃあ、嫌じゃ無かったら連絡して?」

「あの…」

女性は取り敢えず慌ててドアの方へ向かおうとした。だが、思うように進めなかった。

「…ドアが閉まります、ご注意ください」

プシュー。

「あっ……はぁ…」

…間に合わなかったみたいだな。

「あ゙ー、…ごめん、何だか、ごめん…」

…。

動き出してしまった。本来ならもっと早くからドア付近に移動しておきたかっただろうが。俺と話してしまったから。
一つ前の車両の方が空いていた。

「…取り敢えず、あっちに移動する?」

気持ち項垂れて頷いて、一緒に移動した。

端の壁にくっつくように並んで立った。
手にしたままだった名刺を見た。

「むさしさん?」

「あ、うん、むさし」

読み方の事だよな。何だかお互いに気恥ずかしい。本当ならさっき別れていたはずだからだ。

「あ、大丈夫です。降りられなかった事は気にしないでください。次で降りて戻れば充分間に合います、大丈夫ですから。…はぁ、少しだけですけど空きましたね、さっきよりは少しマシになりました」

「そうだね」

「……こんなの初めて」

「え?」

「電車で通勤してるけど、…こんな事初めてです」

「あー、いや、ごめん、何か俺の携帯が痴漢しちゃって。ていうか、かけて来た相手のせいか…?」

「え?あ、…フフ。誰でしょうね、こんなタイミングで。…あ、まあ場所の問題?ですね。私がくっついてしまったから。ごめんなさい。
本当ですね、フフ、貴方の携帯君は痴漢です。震えたり止まったり…大丈夫かと思ったらまた何度も震えて、…本当大変でした。…色んな痴漢が居るんですね。それに私…」

「あー、いや、本当ごめん。この携帯、交番に突き出す?」

「え?クスッ、それは…。面白い人ですね。じゃあ持ち主の人と一緒に?」

「あー、それは困るかも」

「フフ、大丈夫です、そんな事しません」

「次は○○、○○…」

「あ、今度こそ降りなくちゃ。あの…」

「ん?」

「…名刺、こんな風にもらったのも初めてで。ご連絡しますね、…じゃあ」

すみませんとドアに移動して行く。

「あ、名前…」

「○○~、○○~…」

「」

ん?
た、か、く、ら?かな?降りた彼女は口パクして手を振っていた。

よく解らなかった。しかし上手くいった。
連絡してくれるって言ってたし。駄目元で待っててみるか。
…あっ、と、着信は誰からだったんだ。
取り出して見てみた。
浩雅。げっ、そう言えばあいつ…居ない。
降りたのか?降りたんだよな。すっかり見逃してしまった。

…何だよ、鳴らすだけ鳴らしやがって。あ、最後は何か入れてるな。

ブー、…。ん?

【痴漢さんへ】

【さっきは、どうもです。今、反対向きのホームに来ました。知り合いの方が居たのでごめんなさい短くなります、取り敢えず今はこれで失礼しますね。
ちゃんと会社、行きますからご心配無く。高鞍】

お、…おー!もう来た。…ラッキー!
これって幸先いいんじゃないか?
で、浩雅のは何だ。

【お前の尾行なんか最初から知ってる】

…フ、ばれてたのか。まあ、いい。
俺は今、最高に機嫌がいいんだ。
さて、と、取り敢えず会社に行くとしますか。
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