勘違いも捨てたもんじゃない
公園?
分刻みで最も混み合う朝の通勤時間帯だ。通りすがる人達は、何事かと一応視線は送って来るものの、関係無い、いつものことだとばかりに足早に去って行く。用も無いのに長く居る場所では無い。誰もがギリギリの時間に追われている。
その人が痴漢?
どんな風にされたの?
え…貴女が??
女性達は、そう言わんばかりの哀れな目や疑いの目を向けて来る。そして、やっぱり足を止める事なく通りすがる。大丈夫ですか?なんて救いの投げ掛けは皆無だ。
やがて不自然に立ったままの私達に気がついた駅員が、つばの小さい帽子を押さえながら駆け寄って来た。
「はぁ…ど、どうかされましたか?」
息が弾んでいた。紳士をちらっと見て、痴漢ですか?とは私に尋ねて来なかった。
仕立ての良いスリーピースをきちんと着こなした紳士だ。材質も良さそうだ。足元の靴だって磨き上げられた高級品に違いない。滅多な呼び掛けは危険だと、瞬時に保身したのだろう。
「あの、何かお困りですか?」
あぁ、私はこの紳士の腕を掴んだままだったのだ。
「事情は…ここでは何ですから…駅員室に行きましょうか?」
この状況だ。何となく痴漢かもと思ってくれての問い掛けかも知れない。でも…どうしよう…。こんなに落ち着いて居られると却って自信がなくなってくる…。間違いだったら?
紳士はまだ一言も言葉を発していない。今、主導権は私にあるって事だ。…ふぅ。ワーワーキャーキャーと騒ぎ立てない方がいい。
「…では、取り敢えず駅員室に。宜しいでしょうか」
そう返答して、紳士の腕を掴んだまま向かった。放しても逃げたりしないとは思ったけど…成り行き上?。まだ何も言わない、紳士は成すがままの状態だ。
椅子を勧められた。軽く会釈をして腰掛けた。
静かに紳士も座った。この、何でも無いという落ち着き払った態度を見てしまうと、痴漢だとは思い辛い。…でもね。そんなのは解らないことよね。確かにこの手だった。はず。
駅員が顔を交互に見ながら、どちらかが話し始めるのを待っているようだった。話すのは、やっぱり私よね。
「あ、あの…勘違いかも知れないんです。満員でしたし、凄く…動けない程混んでいたので。
でも確かにこの方のこの……手が私の…お尻に触れていたのは確かなんです。だから、その手を掴んで、一緒に降りたんですけど…」
「あ、はい。それで?…その…、貴方はどうなんですか?こちらの女性のおっしゃるように、その…痴漢されたという事でしょうか?
…その、…お尻に触ったのは確かでしょうか?
…んん。故意ですか?それともやむを得ない、不可抗力だった、という事でしょうか?」
…凄く慎重だ。無礼な!と、一喝されるのではとビクビクだ。
良かったらどうぞ。別の若い駅員が興味津々な顔でペットボトルのお茶を持って来てくれた。
きっと、この紳士がそんな事を?へぇえ…、と、あらぬ妄想を膨らませているに違いない。
沈黙を破ってやっと紳士が口を開いた。
「申し訳ない…信じて頂けるかどうか解りませんが、痴漢ではありません、不可抗力と言えば不可抗力です。痴漢をしたつもりはありません。言い訳になりますが、私は日頃より電車に乗り慣れておらず、本日偶々…迂闊にも下ろしていた手が…人に押されて…なす術もなく当たってしまい、結果、こちらの女性のお尻を更に押すように触れ続けてしまう形になりました」
…ぁ、そうだ。やっぱりだ。掌側では無く、甲の方が触れていた感じだった。私のお尻の感覚は合っていたんだ。…。
「あの…、解りました。確かにいつもとは違っていました。触れていたのは手の甲だったと思います。だから…この方がおっしゃられるように不可抗力だったのだと思います」
こんなに落ち着き払って…、誤解でこんなところまで連れて来られたにしても、声を荒らげることも全くないんだもの…。
「え?いつも?え、いいんですか?今、いつもって言いましたけど。痴漢はいつも?」
「あの…はい、ここのところ、ずっとお尻を触られていました。だけど…触り方が…いつもと違うような気がするんです。他に違う人が居るのかも知れません。だから、この方では無いと思います。…今日のはいつもと違ったんです。だから、この方が痴漢というのは…私の誤解じゃないかと思います。だからもういいんです、…すみませんでした…お騒がせしてしまって…」