勘違いも捨てたもんじゃない
「私にとってはまだ、貴女は仮名の人なんですよ」
…漢字を教えて欲しいって事ですよね?
「私、名字の高鞍は、高い低いの高、鞍は馬の背に置く鞍の鞍です」
「マキは?」
真希は……。
「ん?」
「あ…真希は…真実の真、希望の希で、真希です」
「なるほど。ところでご飯は何が好きですか?」
「和食が好きです」
あ、何の躊躇も無く言った。質問の流れで上手く聞き出されたようだ。遠慮して答えないと思ったのだろう。やはり、そつなく上手だ。
………ご飯は和食よ。魚も大好き。
「解りました」
暫く走ると門構えのある日本家屋に着いた。
「さあ、行きましょうか」
「あの…」
ここは…自宅?というか、実家、とか?
「美味しい日本食を食べましょう。気後れする必要は無い。私がお願いして来て頂いたのです。遠慮も要らない。…さあ」
まさか、自宅に招かれてご飯という訳ではないだろう。だとしたらここは料亭、といったところだろうか。
…何だか重厚で圧倒されるお屋敷だった。名のある旧家のような造り…。
到着した時から着物を着た女性が立っていた。料亭なら、女将さん、ということだろうか。頃合いを見ていたのだろう。安住さんが近づくと、若様、お待ちしておりました、と頭を下げた。安住さんが車のキーを渡す。黙って受け渡しをするのは、どうするか承知しているからだろう。
「アルコールは無しで、後は大将に任せるから」
「畏まりました、…こちらの女性は?」
「…ここはいつから客の内情まで窺うようになったんだ?…要らぬ詮索はしないで頂きたい、…あなたには関係無い事だ。奥の部屋で構わないな?」
え…あ、なんだか…。大丈夫だろうか。どう見ても…。
「…申し訳ございませんでした。どうぞ…」
「案内は要らない」
「はい、申し訳ありません」
先にたって進もうとする女将さんを静かな物言いで制した。安住さんは私の手を取るとすっと腰に手を当てた。あ、こんな扱いはされた事が無い…。スマートな振る舞いに緊張した。それに、この女将さん。とても妖艶だ。安住さんより少し年上、まあ、私より年上と言ってもいいのだけれど。そのくらいの年齢に見えた。和装は落ち着いて見えがちだから、もしかしたら安住さんと同い年くらいなのかも知れない。妖艶なだけでは無い…痛いくらいの視線を感じた。嫉妬…?のようなものだと思った。恐いくらい感じた。勘違いでは無いと思う。この艶っぽさは安住さんに向けてのモノだ。安住さんとはただならぬ関係だった…?……。
「料理は仲居さんに運ばせてくれ。挨拶や説明も要らない、帰るまで誰も来るな」
…安住さんの口調…とても高圧的…。これって。
「…畏まりました。ではごゆっくり、どうぞ」
頭を下げて、どうぞ奥へ、と、見送られた。…見てる。安住さんが私に回したままの腕も。私が着ている安住さんの上着も。ずっと見られてる。鈍い私にも解る、強くて妖しげな目だ。
ただ一方的に好きで見る目つきでは無い。…本当に恐いんですけど。
通り過ぎて離れても尚、背中に痛いくらい感じる。…この人と安住さんは、やっぱりただならぬ、…大人の関係だった事がある…という事かしら。間違いないと思う。…あ。もしかしたら…この人ときっちり手を切る為、清算する為に、今、私は利用されたのかも知れない。そのつもりはなくても結果として偶然そうなったのかも知れない。思いがあるのは女将さんだけってことかも知れない。割り切った関係であってもいつしか…。安住さんには非情にもその気はない…。上手く思いを切ってくれないから…。解らない…、でも、恐いのは確か。この謂れの無い恐怖から身を守る為にも言いたいくらいだ。
誤解しないで欲しい、と。私、安住さんとは何でもありませんよ?今日はご飯を食べるだけです、本当ですから勘違いしないでくださいねって。
私には関係ない問題…二人の、当事者の問題だもの…。