勘違いも捨てたもんじゃない
「私…転職したんです。今の職場に変わったのは、以前の職場で…セクハラとパワハラに遭ったからなんです。上司だったのですが。その時は私、無知で…我慢できないくらい嫌で嫌で堪らなかったのに、何も出来なかったんです、だから…」
結局、何一つ抵抗する行動も起こせず、泣き寝入りした。一身上の都合と言う事で退職願を出した。
「そう、上司にね…。自分の役職や肩書が、自分自身、何でも許されるモノだと勘違いしてる馬鹿が居るからなぁ。何をしても言い返せないだろうとか、拒めないとか、立場を利用して好きにしようとする。…卑怯な行為だ」
「…はい」
まさにそれだ。気持ち悪くて堪らなかった。だけど誰にも言えなかった。あの声も……思い出しても虫酸が走る。身体を抱きしめ腕を擦った。
「あ、すまない、思い出させてしまったようだね」
「大丈夫です…もう昔の事です。過ぎた事だと思うようにしていますから」
本当は大丈夫なんかじゃない。ねっとりとしつこく触って来た事…言われた事、…思い出しても悍ましい。首を振ってブルッと少し震えた。ここまで思い出した事は最近無かった。
「大丈夫?……こうしても大丈夫かな…」
紳士は缶珈琲を置くと私を包むようにゆっくりと腕を回し抱きしめた。
「…あ、え、あの…」
「痴漢もどきの、しかも、多分その上司の当時の年齢に近いであろう男に、こういう風にされたら嫌かな?嫌悪が増す元かな…」
優しく包む腕は、触れるか触れないかくらいの回し方だった。会ったばかりの人なのに…嫌じゃない。むしろ、不安が消え、安心さえ感じる。これは……何だろう…。
「大丈夫です。びっくりはしましたけど、嫌ではありません。何だか安心します。落ち着かせてくれようとしたのですよね、ありがとうございました」
「……そう?だが悪かったね、許可無く先にこんな風にして」
「あ、…いいえ」
痴漢行為とは違う。きっとこれは善意からしてくれた事だから。紳士の思った通り、安心できて落ち着いたのだから。守られているような感覚になれたから。何するんですか、なんて言うつもりも無い。
………ん?でもこれって…朝から公園のベンチで…男女の抱擁って、怪しく無い?
大変、もう離れなきゃ。
「…あの、もう大丈夫です」
やんわりと腕を解いた。
「ん」
「…ごめんなさい。いつまでもこうしていると…誤解されますから」
「ん?誤解?」
あ…。問い掛けるような眼差しが何だか優しい。
「あの…男女が朝からですね…公園でこんな…人目を忍んでるみたいで。その…」
「ん?あ、ああ、そうだな、そう見えない事も無いか。ハハハ、言われて見れば怪しいか。ハハハ…そうだな。これは、まずかったかな〜。いや、すまなかった」
「はい、まずいですよ?貴方が」
「私が?」
「はい」
「私は…特にまずくない。一応独身だから」
「あ…、そうなんですね」
意外…。
「まあこのくらいの歳の男は、妻帯者として判断されるのが普通だ」
そう。スマートな紳士さんには綺麗な奥様が居そうだもの。