夕星の下、僕らは嘘をつく
玄関から家を出て、喫茶店の裏口から入った。
今日は晴れているけれど、外の空気はさすがに寒い。

対して店のなかはとても温かく、良い香りの空気に包まれていた。
ケーキを焼いていたのだろうか、甘いにおいも漂っている。
 

あとで一切れもらおう。
そう思って店内に出た途端、後ろにのけぞってしまった。

「こんにちは」
軟派な笑顔がそこにいる。
「なんでここが」
店のカウンターで優雅に珈琲を飲んでいる姿が忌々しい。

「幽霊に聞いてみた」
どこの幽霊だか知らないけれど、情報をリークしたやつを恨む。
幽霊を恨むってできるかどうかは別。

「ストーカー」
「酷いなあ、せっかく知り合えたのに」
「そういうことを平然と口にするのが耐えられない」
「晴ちゃんは、無口な男のほうが好み?」
 
なに勝手に呼んでるんだ、と鳥肌がたった。
やっぱり中身は別人に違いない、と確信したいぐらい、一ノ瀬くんのイメージと違う。


「幽霊にこんなくだらないこと聞いてるわけね。あと晴ちゃんはやめて」
「じゃあ晴さん?」
「気持ち悪い。もう呼び捨てでいいから」
 
こいつは、ひとの神経を逆撫でするのが特技なのだろうか。
声の色が見えていたら、さぞかし黄色にまみれているに違いない。
 

しかし私の嫌悪感は彼には伝わらない。
笑顔のまま、珈琲をすすっている。さっさと追い返したい。


「くだらないことじゃないよ。俺にとって晴は希望だから」
ほらまた軽口を叩く。
 

と思ったけれど、耳が熱く感じてきた。
その上心臓の音がすぐ近くから聞こえてくる。

彼にこの音が伝わらないように、なんて馬鹿なことを考えてしまって、頭を振る。
希望、ということばが胸を締めつける。
そんなたいそれた人間じゃないのに、私。


「あら、立ち話?」
真後ろから叔母の声が聞こえてきた。
すっかり油断していた。びくっとして振り向くと、ケーキとココアをトレイに乗せてきた叔母が私と彼を見比べる。

「お待たせ。ほら、晴もそこに座りなさい」
断りたかったけれど、叔母の声の色が橙色だったから従うことにした。
なんとなく、がっかりさせたくなかった。
< 28 / 36 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop