ホテル王と偽りマリアージュ
『だから、近寄るな。触るな、って……』

『えー。一哉さん、冷た~い! もー。そういう割には無防備だし。ねえ、チューしちゃっていい?』


妙に絡む甘ったるい声の後、リップ音を立てるのが聞こえる。
『んー』と女性の間延びした声。
囃し立てるような黄色い悲鳴。


『んっ、だから、止せって……』


続く途切れ途切れの一哉の声に、頭の中がカッと熱くなるのを感じた。


「い、一哉っ……!」

『だーいじょーぶ。挨拶みたいな軽~いキスされただけだから』


面白そうにそんなことを言う要さんの声に、本気で怒りが込み上げてくる。


「なにしてんですか。こんなこと知らせる前に、止めてください! 今の一哉の声……だいぶ酔ってるんでしょ!?」


携帯に向かって吠えるように叫びながら、身体が無意識に前のめるのがわかる。
要さんのクスクス笑う声が、どうしようもなく耳障りだ。


『だから、マズい事態になる前に、椿さんに引き取りに来てもらおうと思ってさ』

「ど、どこですか!?」


ベッドから飛び降り、バッグから手帳を取り出す。
要さんが教えてくれるお店の住所と店名を書き殴って電話を切った。


メイクなんかしてる場合じゃない。
服だって気にしてられない。
私は白いニットとデニムを身に着け、長い髪をちょっと高い位置で一纏めに結んだ。
そのままコートを羽織っただけで、慌てて家から飛び出した。
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