【てぃんかーべる】
背中で
私の気配を察したのか
ねるが首だけを
私に向けた

彼女の唇が震えている

「きゅうきゅうしゃ」

彼女が
私の顔をみながら
独り言のように呟く

「救急車呼んだんですか」

「いや」

首を短く振り
あっけらかんと答える

「呼ばなきゃっ」

ねるは急いで
電話機を探した

「ないっ
 ないよっ
 電話がないっ」

徐々に彼女の口調が
荒々しくなり始めた

「くるみがっ
 くるみがっ
 わたしのせいで
 くるみが死んぢゃうよっ」

彼女の動揺した声が
涙色を帯びてゆく

「携帯で呼んだらどうだ」

慌てふためく
ねるにアドバイスしてやる

「あっあっそうだ」

彼女が鞄に手をつっこむ
携帯を持つ手が
遠目でもわかるほど震えている

「救急車ってどうやって
 呼ぶんですか」

彼女の頭は
パニックになっているのだなと
私は理解する

「119だよ」

「あぁ
 ボタンが押せないよぉ
 早くしないと
 くるみが死んぢゃう
 ボタンが押せない
 ボタンが───」

ボタンが押せないと
連呼するねる

彼女の全身が
がたがたと震えている
呼吸が荒く
混乱でなにをしていいのか
わからないようだ

私は今一度
床にひれ伏す
ひつじに目をやる

わずかに上下していた肩が
ぴくりとも動かなくなっていた

死んだか

『椎名 ひつじ』
なかなか愛想が良く
人懐こい印象だったな

彼女の屍を尻目に

「さて帰るか」

私は帰り支度をはじめた

「とにかく早く来て
 くるみが死んぢゃうから
 はやくきてっ」

ねるの叫ぶ声がした
どうやら救急センターに
繋がったようだ

玄関に坐り
靴を履いていると
ドアが開いた

顔を上げると
『南 恭子』が
レジ袋を片手に入ってきた
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