迷彩男子の鈴木くんが、お嬢様の高町巫果さんに魔法を掛けるお話
またまた、ムチャ振り。
3回目の勉強会になる。
今日は車で出かける。実情、僕はお抱え運転手だった。高町グループの運動会は来週に迫っている。会うのはこれが最後だと……はっきり言おう。
僕は今日、そういう決意を持ってやって来た。
最後ぐらいは、という訳じゃないが、今日の僕は綿シャツにジーパン、上着は紺のジャケットを持ち込んでの軽装である。
いつものホテル前で、高町さんと待ち合わせた。彼女の装いは、これまた秋らしい色合いモザイク模様のクラシカルなワンピース。茶色のブーツ。髪の毛は後ろでまとめて、海では少々薄ら寒いようにも思えるが、その手にはチェックのストールを抱えていた。10月だというのに、この所の暑さはちょっと異常である。だからといって半袖なんかで出掛けた日には、そんな日に限って夕方から風が冷たいという事もあるから気が抜けない。
彼女の手前に車を回して、僕は運転席から出た。「お待たせしました」
高町さんは、きょとん、と僕の様子を見つめている。そこから、まじまじと上から下まで眺められた。迷彩男子のオフがそんなに珍しいか。あんまり必死で見られると、こっちがいたたまれない。胸焼けして病気になりそう。
すぐ横ではドアマンが何かを疑うような視線を向けている。
「これは鈴木さんのお車ですか?」
「いえ。僕は自分の車を持っていません。なので今日はレンタルしました。普通の国産車です。一般的です。こういうのが好きでしょう?」
1度乗って見たかった、トヨタの新型プリウス。色はブラックをチョイスした。
彼女はドアの前で立ち止まって、なかなか乗り込もうとしない。そこで雑誌を開いて、穴が開く勢いで見ている。かと思ったら、
「お隣に座ってもよろしいのでしょうか」そんな事?「はい。どうぞ」
そこから乗り込んで開口一番、
「一瞬、鈴木さんが、運転席を間違えていらっしゃるのかと」
「すみませんね、右ハンドルで」
迷彩男子、普通に凹む。
静かに車を走らせた。今日は、海。東名高速から圏央道。普通に、ベタに、2人は湘南海岸を目指す。今日は風が強い。
「仕事で都内を走る事もありますから。運転は慣れています」と訊かれもしないのに言い訳。その後の沈黙が耐えきれないと、そこで僕はラジオを点けた。
「お話してもよろしいですか」
「どうぞ」
「先日は、私の事ばかり話してしまってごめんなさい。エリカに相談したら、こういう場合、普通は相手の話を聞くものだと」
その因縁の名前、ここで出す?
「この雑誌は、全部そのエリカから貰っているのです」
また出す?
まるでその名前を聞いて僕が大喜びするのを待ち受けているように見えるのは気のせいか。仕方ないので、曖昧に笑って喜んで見せるというサービス精神を発揮する事になった。大喜びを見せた途端、手のひら返し、ABCはどうした?と突っ込まれる事の方が怖いんですが。見ると、その雑誌にはいくつも付箋紙が貼ってある。今日もまたずいぶん予習をしてきたらしい。
「今日は鈴木さんと、もっと仲良くなりたいと思っています」
「はぁ」としか言えない。何だか手強いゾ。
「では参ります」
そこから……僕の生年月日、血液型、星座……とにかく質問攻めにあった。彼女は1つ1つをメモする。
「鈴木さんの御家族は?一緒にお住まいですか」
「いいえ」
実家は、山形県鶴岡市。家族は父母と僕だけ。大学からこっちに上京。
「田舎に帰ったのは、3年前きりです」
それを言うと、彼女は眉間に皺を寄せた。理解できないのも無理はない。
「山形は遠いですから。それこそ魔法が使えたらいつでも帰れますけど」
僕は笑った。「箒より絨毯より、どこでもドアかな」
彼女は、不意に黙り込んだ。かと思うと、
「鈴木さん、いつでも帰れる事が素晴らしい魔法なのではありません」
さすがに、おや?と思った。急に何を言い出すのか。
「思いがけず御両親と会えた時、爆発的に嬉しいと思える事が魔法なのです」
思わず右足に力が入って、急加速してしまった。「すみません」
彼女の話を痛い笑い話だと聞き流していた所、急に流れが変わった。やけに大切な事を教わったような気がしてくるから……意外と侮れない。
そこから質問は僕の日常、朝から晩までに及んだ。そんな珍しい事は無い。普通に仕事行って、普通に休日。彼女が次に何を言ってくれるのか。どこかそれを期待して、僕は訊かれるまま素直に答えた。
「普通の休日。鈴木さんは何をしているのですか」
本屋に行ったり。溜まった録画を見たり。たまに仲間と集まって飲んだり。電気屋を巡ったり。スーパーも行くし。
「あと、大きなお風呂が好きで。たまに銭湯とかにも行きます。高町グループの健康ランドにも何度か行くんですよ」
心も体もリセットできる僕のオアシスだ。
「こんなもんです。普通過ぎて想像がつくでしょう」
「とても……幸せな男の人の生活ですね」
どこが?
まさかそんな感想が飛び出すとは思わなかった。急に居心地が悪くなる。
確かに充実している。上司とも上手くやれて、どうにか仕事も軌道に乗っている。悪くない。だが幸せかと訊かれると……急に輪郭がぼんやりしてくる。
「鈴木さん、それでしたら今日はこれから、その」
「高町さん、今日は予定通り、海に行きましょう」
僕は話の腰を折った。
恐らくだが、彼女は健康ランドのシステムを知らない。僕が女湯に入る訳にいかないから、はっきり言って足手まといだ。こっちの心と体が休まらないからという事もある。それ以上に、ここで海をキャンセルして、この次、またこの次と、約束が先に進む事にも抵抗があった。
「ではこの次は、そのランドに参りましょうね。鈴木さん」
「いいかもしれませんね」
返事は曖昧になった。今日で会うのは最後だと、それを決めている。だが、彼女を足手まといだと感じた事も加えて、その無邪気な笑顔に胸が痛んだ。ムチャ振りも、今日はとことん付き合ってあげよう。そんな事を思い始める。
「お昼は、どうしましょうか。次のSAとか寄りますか」
とは言ったものの……さすが日曜日。SAの駐車場は非常に込んでいて、車を止めるまでかなり時間が掛った。レストランはどこも混んでいて座れそうにない。フードコートのベンチも塞がっている。彼女が化粧室に消えている間に、僕はタコ焼きを買った。
「こういうの好きですか?」と彼女の顔色を窺うと、美味しそうな匂いに一撃でノックアウトなのか「うわぁ」と大喜び。彼女は湯気にあぶられるほど顔を近づけて、くんくんと匂いを楽しんでいる。まるで、おでんのCM。
「鈴木さん、あっちにコンビニがありました」
「あぁ、はい」
「そこで、ぜひ御一緒にカエルのようにタコ焼きを」
「はいはい。ぜひ御一緒にタコ焼きを……とにかく車に戻りましょう」
彼女はたこ焼きを頬張りながら「せっかくのチャンスだったのに」と、愛おしそうに窓からコンビニを見つめている。カエルのように座って食べる……つまりヤンキー座りの事だろう。それを本気でやる気だと知った。ムチャ振りにも程がある。さすがに付き合えない。
「ほら、あそこのカップルも車中で食べているでしょう。普通はこうです」
見ていると、女の方が、あーん♪と男の口元に運んでいる。そこで、ゆっくりこちらを振りかえった高町さんと目が合った。合ってしまった。
「あれを、私もやってみたいのですが」
やっぱり。
「鈴木さん、まずはお手本をお願い致します」と、彼女は深々と一礼した。
「今見たでしょう。あれがお手本ですよ」
「実践です。お願い致します」
また、ムチャ振り。今日が最後だと思えば。ヤンキー座りよりマシだと思えば。
「じゃ、はい」と、ヤケクソも手伝って僕は口を開けた。タコ焼き1つ、お嬢様の手から食らう。熱々のタコ焼きのせいなのか何なのか、やけに車中が暑苦しい。
「では、鈴木さんから私に。お返しをお願い致します」
「そこまでは、あっちもやっていないようですが」
「応用です。お願い致します」
僕はこの時確信した。お嬢様は、目的の為なら、こじつけも言い訳も自由自在。グイグイ来る。ムチャ振りと実は分かって言ってんじゃないか?今までの経緯からして、彼女は想像通りの世間知らずだと思い込んでもいられなくなる。
大口を開けて待たれているのも落ち着かない。しょうがない、とお返し。その口元にたこ焼きをくっつけた。「美味しいです」「それはよかった」
「ただ口を開けるだけなのに、とてもドキドキしました。こんなの初めて」
「僕もです」
こんなベタで小っ恥ずかしい事、歴代元カノともやった事が無い。
タコ焼きを平らげて、お茶を飲んで、渋滞情報を確認して。
「行きましょう」
〝お会いするのは、今日で最後に〟
それをどう切りだすか。頭の中で転がしながら車を出した。
〝海というのはケンカして別れる場所NO1〟いつかの高町さんの言葉を思い出す。それを、これから実践する事になるかもしれない。喧嘩にはならないと思うけれど……というか、そういう展開は想像がつかない。
そこから海に到着するまで、僕はまた質問攻めに遭った。
目の前に海が広がると、高町さんは車の窓を開けようとして……どうしていいか分からないらしい。僕は運転席からパワーウィンドウを操った。
「これは、もしや」
彼女の目つきがどこか妖しい。
「そういう機械です。魔法ではありません。みんな出来ます」
海沿いのパーキングに車を止めた。高町さんは、何冊も雑誌が入っている鞄を肩に担いで出てくる。「持ちます」と半ば強引に、僕はその荷物を奪った。
「いいえ。悪いです。私の物ですから」
「こういった事は普通、男の役割です。だから任せて下さい。ついでに言わせてもらうと、海を散歩する時、普通はこんな物を持ち歩きません」
こんな説教などせず、黙って助けてくれるようなお相手なら言う事無いな。僕はまるで保護者のような気持ちで彼女を見つめた。ここに来て、高町社長の気持ちが痛いほど分かる。
「周囲を見て、私も今それに気が付きました」
「あと」と彼女は手持ちの教科書を広げて、
「ここを見て下さい。普通は〝彼氏と手を繋いで歩く〟とあります」
そして、まさかの展開が訪れる。
「今日は鈴木さんの手をお借りしてもよろしいですか」
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