迷彩男子の鈴木くんが、お嬢様の高町巫果さんに魔法を掛けるお話
鈴木のクセに。
その電話は、出張で海外だという高町社長から上杉部長へ。
そこから僕に連絡が来た訳だが、個人情報とプライベートが、ダダ漏れである。
訪れた高町邸は都内の一等地。
こないだのドライブの後、玄関前を素通りした事はある。それだけ。中まではお邪魔した事などもちろん無いし、覗いた事も無い。
部長の電話のついでに高町家の要領を聞いた所『ひと駅歩くと思えばいい』と言われた事を思い出す。あれは最寄りの駅を言ったのではなく、敷地内に入ってからを言ったのだという事を知った。
インターフォンでお手伝いさんと思しき女性と会話した後、大きな門扉をくぐって、庭園をしばらく歩いて玄関扉に到着。都内この距離の間に、一体どれだけの家が存在し、人々が暮らしているだろう。そこから、テレビでしか見た事無いような瀟洒なリビングに通された。
どこか高町さんと似ている面差しの母親に「お紅茶でいいかしら」と返事を待たずにそれは差しだされ、「酒だ。酒だ。酒でしょ」と姉だと名乗る、まるでヤンキー女……からは「京都の土産。これでいいでしょ」と八ッ橋を出された。
紅茶と八ッ橋。時間差でやって来られた割には絶妙に合っている。
「急にご連絡差し上げてごめんなさいね」
僕の向かいのソファに2人は座った。何だこれは。まるで役員級の面接だ。
「巫果ちゃん、今度の運動会には行かない。新しい出会いはもう要らないと言って。お兄ちゃんと喧嘩して家を出て行きましたの」
家族は、高町社長から……或いは本人からどう聞いているのだろう。僕のせいだと、家族中が疑っているような気がする。ヤンキーの姉は「こいつが鈴木か」と上から下まで眺めて「お母様、この程度の男でいいの?高町の女は」
「おやめなさい」
「地味に普通。ウケる。これはこれで一周回って記憶に残るかもしんない」
「おやめなさい」
「あんたさ、巫果を掴んで本気で高町に入ろうとか狙ってないよね?」
「おやめなさい」
「そこまでお祭りアタマじゃないよね?」
「おやめなさい」
「兄貴も電話で言ってたよ。〝鈴木のような野郎が、巫果の相手になる筈がない。あいつは物足りない。迷惑だ〟はははぁー、夢見ちゃいました?」
おやめなさい、と母親が温いツッコミを決める前に「その通りです」と僕は割り込んだ。「高町社長にも、その点は心配無用とお伝えください」
高町社長には頭が下がる。この場に居なくても、いつまでもケジメがつかずに迷っているような、そんな浮ついた僕に向けて喝を入れてくれた。
母親は、呑気にお茶なんか飲んでるし、僕にもお代りを勧めてくれるけれど。
「どこか、心当たりを探して来ましょうか」
「いいんだよ。あのガキはどうせお庭なんだから」
「庭?」
どういう事かと訊ねると……泣いて家を飛び出した日は、敷地内のどこかでいつまでも愚図愚図やっている。それが分かっているから家族は慌てないらしい。
それじゃどうして僕は呼ばれたのか。
「鈴木さん、うちの巫果ちゃんはどうでしょうか」
それが聞きたかったのか。
「どうといいますと?」
「年頃の女の子として」
「……お茶、お華、着付けもお免状をお持ちですし、今は外国人向けのお仕事も需要が高まっていますからお仕事するとしては」
体裁よくまとめようとした事に、僕は後悔した。聞いている2人のテンションはダダ下がり。今はそういう分野を求められてはいない。
「女として!」
ヤンキー姉がイライラしながら割り込んだ。言葉は悪いが、2人とも言いたい事は同じ。さすが親子。
「こ、こういう女性は、外交官の奥様に多いと思います。お相手が海外勤務という場合、日本文化を熟知している配偶者を求める傾向にありますし」
「硬ったぁい。聞いてて肩凝るクソ発言」
「もうちょっと……何ていうか簡単に言って下さいます?」と、ヤンキー姉の発言を否定しない母親にも一部の責任がある。ような気がする。
「碌に仕事も出来ないバカ女は蝶よ花よとそんぐらいしか取り柄が無いんだからジャンルを絞ってボケてる金持ちを攻めろ……ブスリとやってくんない?」
「すみませんね。お姉ちゃんは言葉が悪くて」
言葉は違えど、母親も少なからず同じような事を考えているという事なのか。
少々ムッときて、とはいえ母親に楯突く訳にもいかないと、僕はヤンキー姉を選んで対峙した。
「お言葉ですが。富裕層に限らず、巫果さんの特技を活かせるお相手は多いと思います。それは立派なお仕事ではないでしょうか」
「わ、怒ってるぅ。鈴木のクセに」
「おやめなさい」と姉をゆるく制した母親は溜息をついて、
「お相手というけど、巫果ちゃんは昔から変な事ばっかりやりたがるから」
歩道橋を往復する。
公園で寝泊まりする。
倒れるまで徹夜する。
1度でも普通と聞けば、魔法が訪れるまではいつまでも……どれもこれも、彼女が大喜びで勤しむ姿が、瞼に浮かぶようだ。
「思いきった事にチャレンジしたい、という事だと思いますが」
「知ったような。鈴木のクセに」
この女の目は……イジり殺してやる、と狙う上杉部長に似ている。
そこで電話が入ったらしい。使用人らしい女性が受話器を持って入って来る。
それに母親が出て、
「あ、巫果ちゃん待って。今ここに鈴木さんが居らしてるのよ」
そういうことなら代わります。
『怒ってますか』
開口一番、そう言ってる彼女の方が逆ギレだった。
「普通、怒ります。いくらお庭だからって、ご家族も心配しています」
そこで「あたし以外はね~」とヤンキー姉が横槍を入れた。
「お姉様は少々素直じゃないようですが、普通に心配してらっしゃいます」
「はい?!」ヤンキー姉は僕を睨みつけた。横で母親が吹き出す。
「それは庭の、どこら辺ですか」
『池の側です。来ないで下さい』
男を操ろうとするとは言い過ぎかもしれないが、わざわざヒントを出す辺りが、いくらお嬢様でも女性だという気がする。
その池は歩いて5分程と聞いた。微妙に遠い。とはいえ敷地内。
「そこから、一人で帰ってこれませんか?」
その返事を返す事無く、通話は切れた。本当に真っすぐ帰ってくるのか。
「ちょっと見てきます」と立ち上がると、「あ、巫果はね、男と一緒だよ~」またヤンキー姉の冗談だと思った。
「そうだ。ついでにスイートポテト買ってきて。コンビニの」
敷地を出てコンビニ、それのどこが〝ついで〟なのか。聞こえない振りだ。
「高町の女を無視すんのかぁ。鈴木のクセに」
前言撤回。この喧嘩腰は上杉部長と言うより、ヤサグレの久保田さんだな。
結論から言えば、高町さんが一緒に居るのは男ではなかった。だがそれ以上に強敵である。「ジャッキーです」と紹介されたラブラドール・レトリーバーは、わんわんと吠えて「こら」と彼女にたしなめられて1度は黙ったものの、ずっと僕に向かって警戒の念を送っている。おとなしくなった犬の耳元に顔を埋めたまま、彼女はまた黙り込んだ。ぐずぐずと泣き出して。
「何があったか知りませんが、別の解決方法を探りませんか。あなたは二十歳を過ぎた大人でしょう」
彼女は犬から離れた。
「どうして鈴木さん。出張は」
「行ってません。あれはウソです」
彼女の目に、一瞬の軽蔑が浮かんで消える。
「高町さんには冷静になって頂きたかった。僕自身も、ちょっと考える時間が欲しかったんです」
「どうやって私を断ろうかと、そういう事でしょうか」
ズバリ過ぎて、何も言えなくなった。
「兄の言う通りなんですね。私が鈴木さんの迷惑になっている」
そうでも言わないと妹が深みにハマるんじゃないか、それを高町社長も危惧されているのだ。何も言わなくても、とっくに勘付かれているかもしれない。
彼女の思いつめた眼差しは、もう引き返せない所まで来ている。
「御家族が心配されて、連絡を下さったのですよ」
「鈴木さんは心配でしたか。私が」
「心配ですよ。友達を心配するのは当り前です。普通です」
「友達じゃありません!」
その勢いに犬もぴくりと反応した。
「鈴木さんは私にキスしました。普通、キスするのは友達以上とあります」
「あれは……」
ちょっと指を触れただけ。お嬢様には区別がつかないのか。……つかないのだ。本物を知らない彼女が誤解しても不思議じゃない。
「あれは、キスじゃありません」
君の唇を奪ってはいない。単に指先で触れただけ。ここで全容を晒した。
「フザけたとか、そういう悪意では決してなくて」
今となっては、何をどう言い訳しても取り繕えない。
そこで、彼女の携帯が鳴った。
「お母様?はい。はい。今……鈴木さんに凄く怒られました」
鈴木のクセに、とまた言われそうだ。
「すぐ帰ります」と電話を切ったものの、彼女は落ち込んだまま、なかなか立ち直れないでいる。「玄関まで送ります」と僕は促した。家に入る所まできっちり見届けなければ気が済まない。家まで5分。微妙に長い。ジャッキーに引きずられるように、彼女はゆっくりと後を付いて来る。
外はすっかり秋の気配。空気はひんやりしている。空を見上げて、僕は思わずため息が出た。
「都内にこんな場所があるなんて不思議ですね。ちゃんと星が見える。外に出たくなる気持ちも分かります」
彼女は黙ったままだった。
「公園で寝泊まりした事もあったんでしょう?お母様から聞いて驚きました」
彼女が無言の間、ジャッキーの息遣いだけが聞こえる。
「そういうサバイバルが好きなら、キャンプとかどうでしょう。今はグランピングというのもあって、それならアウトドア初心者の高町さんでも」
「もう、鈴木さんとは何もしたくありません」
彼女が立ち止った。
「私のミラクルは一瞬でした。魔法はすぐ解けてしまう。勝手に思い込んだままで居たかった。真実など知りたくなかったです。ウソがお得意なら、ずっとウソのままにして下さればよかったのに」
「エリカに……これだけは絶対聞くようにと言われた事があるんです」
〝鈴木さんは、今お付き合いしている女性は居ますか〟
どうしてそれを1番先に。出来れば、出会った最初の頃に聞いてくれなかったのか。ウソをつこうか、どうしようか。これほど迷う事も無かったと思う。
沈黙の時間と比例して、彼女の瞳には、みるみるうちに涙が溜まった。
「鈴木さんに決まったお相手がいるとして……それが哀しいのか。居ないと聞けばホッとするのか。でも嘘は嫌です。だから混乱しています」
勘違いだと素通りするのも限界があった。彼女の態度やそれは、僕を意識していると全身で伝えてくる。僕は覚悟を決めた。
「僕には決まった相手はいません」
〝僕とあなたは、友達です〟
それを言った時、彼女と一緒に犬のジャッキーも同じような反応をした。
「いつまでも男友達を引きずるのは、これから出会うお相手に失礼です。一般的に、結婚を意識する女性はそういう関係を整理します。それが普通です」
僕は酷い男だ。それを言ったら、今以上に高町さんの交友関係を狭めてしまう。それが分かっていても、ここでは言わずにいられなかった。
「今までありがとうございました」
僕は、いつかの彼女のように、深々と一礼した。
「高町さんのような方とお話できて楽しかったです」
気持ちに整理がつかないうちからの早い展開に、彼女は驚いて僕を見つめる。
「そんな何だか、まるで今生のお別れみたいな」
「というか、これは学校で言う所の卒業式みたいなものでしょう」
「卒業したら、もうお会いできない」
「そんな事はないです。卒業した後も同窓会とか、親しい仲間同士で会ったりするでしょう?今度は高町さんのお相手も交えて楽しいお話をしませんか」
何て綺麗事だろう。恐らく会う事なんか無いのは百も承知だ。
玄関前でジャッキーと別れた。彼女とはぎこちない礼をかわして、その場を立ち去る。少し歩いて……いけないと思いつつ、僕は振り返った。
彼女はまだ、そこに居た。
まるで御祈りでもするみたいに目を閉じて、そこから片手、自身の指先をその唇に当てている。まるで、いつかの感触を思い出すように思えた。涙が頬を伝うのを見ていると、今まさにお別れのキスが、彼女の中で展開されている。
僕はそこからもう振り返るのを止めた。
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