迷彩男子の鈴木くんが、お嬢様の高町巫果さんに魔法を掛けるお話
「鈴木くんを、魔法使いだと思っている」
「鈴木くんを、魔法使いだと思っている」
その一撃で、第5営業部はしばらく仕事にならなかった。
月曜日。いつものようにふらりとやって来ました、という自然な様相で、高町社長はまず部長席に居座る。そしてまたいつものようにお茶を飲み、和菓子をツマみ、何てことない世間話のようにその一撃を社員に振り落とした。
以来、先輩社員も後輩社員も今年入ったばかりの新人も、僕を見て一斉に吹き出す。たまたまやって来て用事を済ませたらしい林檎さんが会議室から出てきたと思ったら 「クリスタルマジーック!」と派手に変身ポーズを決めて、そこから指をさしてまでゲラゲラと笑ってくれた。
「それでいつ出発なの?パン屋で住み込み?あの黒猫はどこ?」
「まだまだ続きますか」
「そういや、もうすぐハロウィンだね~」
「まだまだ続きますかっ」
聞いてない。僕の反応は二の次。イジる事に喜びを感じている。しばらくは林檎さんの酒の肴になりそうだ。だが高町社長に限っては笑ってもいられないと、僕に目配せ、場所を会議室に移して、ここから真摯な報告会となった。
元から会議室で書類整理をしていた上杉部長とは、ここで合流。林檎さんは一体何の用事だったんですか?聞くだけ野暮と言うものだろう。
3人きりになった途端、高町社長は開口一番、
「また断られたよ」
2人の視線が僕に集中した。ここで事の次第、彼女とかわした会話の数々、僕は全てを話して聞かせる。「いい勉強になりました」としかフォローできない。
「お兄様の前でナンだけど」と上杉部長は遠慮して見せながらも、「聞いてると、いつだったか保険会社の研修でやらされた〝北極で冷蔵庫を売る〟という実習を思い出す」と半笑い。今もツボっているのが隠せない様子である。
「僕にとっても、それと同じくらい難解でした」
これが正直な感想である。高町社長は、やれやれと頭を抱えた。
「呪いだの魔法だの、ゲームで脳疲労を起こしているとしか思えない」
巫果はゲームはやらないんだけど、と言及したうえで「確かに昔からちょっと変わった子で。それが社会に適応できないレベルとなると問題だな」
「というか、心配だな」と、兄の気持ちを上杉部長が代弁した。
「そうだな。おまえんとこの弟?妹?ほどではないにしても、だ」
「俺は今まで、きょうだいの心配なんかした事は1度も無い、な」
少々、空気が陰険になった。この2人が顔を突き合わせると、いつも微妙に張り合うような気がする。
「きょうだいは相変わらず美人なのか?」「元気だ」
「きょうだいにもう彼氏は居るのかな?」「元気だ」
バチバチと火花が散った。
部長の弟さんは、オネェが趣味の男の娘。林檎さんが言うには、超美人らしい。
合コンの女王だとか、兄貴と二股だとか。不毛なやりとりを繰り返していたそこに、部長にはこれ幸いとばかりに内線が鳴る。第5に入る電話は、基本的にまず僕が取るのが決まりだ。というか、暗黙のルールになりつつある。
『高町巫果さんという方からです』
女性社員が相手を告げた。噂をすれば。「高町社長の妹さんからです」と伝えると、「何で俺がここに居る事知ってんだ?」高町社長は首を傾げる。
「魔法だろ」と、上杉部長は、くくくと肩を震わせた。
『いえ。電話は鈴木さん宛てです』
「え?僕?」
2人の視線が一極集中、僕に集まった。
上杉部長が、瞬時にモニター通話に切り替える。まるで公開処刑。横で高町社長に聞かれているかと思うと下手な事言えない。僕は襟を正した。
「はい。鈴木です」
受話器の向こうからガサガサと雑音がした。人の声らしき音もする。どうもお嬢様以外に誰かが側にいるらしい。お嬢様は、『先日はありがとうございました』とか。『お忙しい所申し訳ございません』とか、そういった当たり障りない挨拶の後、
『鈴木さんとはまた会うお約束を致しました。それはいつに致しましょう』
「約束?」
途端、高町社長の目つきが鋭くなる。僕は慌てて首をブルブルと振る。
「そのような約束を……したでしょうか?」
『〝では、また〟と仰ったでしょう?』
言ったような言わないような。あれの事か。
「それは社交辞令といいますか。本当に会うという意味とは違くてですね」
「会ってやってくれ、鈴木くん」
それは背後から聞こえてきた。見ると高町社長が苦笑いで、「責任を取ってくれないか。鈴木くん」とか言う。何の事かと思えば、
「聞けば、君は巫果とホテルで2人きり、1時間以上も出てこなかった」
「誤解です!」
社長と部長、2人揃って吹き出した。イジられているだけとはいえ、あらぬ誤解をされるのは本意ではない。電話の向こうでは、僕と同様、お嬢様も混乱しているようで。
『どうしてお兄様がそこに?』
そこで高町社長が強引に電話を代わった。
「巫果、今度の日曜11時。この鈴木くんといつものカフェで待ち合わせだ」
普通の格好でいいぞ、と言って、そこで電話を切った。こっちの都合を他人が決める。ここ以外でこんなの、聞いた事が無い。
「巫果と1時間以上居られる男というのも珍しいもんだ。お見合い相手でさえ10分と持たなかったから」
「だからといって僕ではどうにも」
目線を飛ばして助けを求めてみた所で、上杉部長は、ただただ笑っている。
「男友達という免疫すら無いクセに、結婚を安易に考えて不毛なお見合いを繰り返す。そろそろ目を覚ましてもいい頃だ。アルバイトとも違う社会勉強が必要かもしれない。君みたいな一般人と触れ合う内に常識も芽生えてくるだろう」
そこまでは僕も頷いていた。
「君の得意な魔法で、何とか頼むよ」
それは想定外である。「首尾よく行ったら、鈴木名義で大口顧客がドッサリだな」と部長の鼻息が荒い。なるほど。「そういう取引をする訳ですか」
「俺からも個人的にボーナス出そうか。海外の旅行券でも何でも言ってよ」
「マジですか」
本気で心が躍る。高町グループの所有する健康ランドは、入場料金は少々高めだが、シャンプー付きのスカルプマッサージが特に評判なのだ。
図々しいかなと思いつつ、それを言ってみると「そんなのでいいの?」と高町社長に鼻で笑われた。僕のスケールは高町社長には小さすぎたか。
「お嬢様をちょっと好い気にさせればいい。簡単過ぎる。良い仕事だな」
「高町社長の前で、何て事言うんですか」
上杉部長の真意はいつも分かりにくい。だから言葉通りに受け取る事は無い。当の高町社長はどういう気でいるのか。僕と目が合ってにっこり笑うと、
「いいよ。ざっくり言えばそういう雑用だ。間違ってない」
高町社長は上杉部長をイタズラっぽい目で睨んだ。
「妹はまだ22だし。堅苦しいお見合いなんかするより、こんな感じで普通に、自然に出会う方が良いと思ってる」
だからといって……まさか本気で僕とどうこうなれとか思ってないよな?
不意に「〝約束を守れない人間は?〟」と上杉部長から投げかけられた。
「〝人として生きる価値無し。野良猫にエサを貰って暮らせ〟です」
「その通りだ」
いくらなんでも人前なので、敬礼はしなかった。部長の謎かけパターンはいくつもある。どれも覚えている自分が哀しい。だけど、あれは約束と言えるのか。
お嬢様の顔を思い浮かべた。約束破りと見なされるのも本意ではない。
「頼むね」
高町社長は、不意に兄貴の顔になる。そう来られるとムゲにも出来ないな。
「はい」と請け負う。
「上手くやれよ」
部長はまたしても、メモをぱちんとおでこに貼り付けてくれた。
その一撃で、第5営業部はしばらく仕事にならなかった。
月曜日。いつものようにふらりとやって来ました、という自然な様相で、高町社長はまず部長席に居座る。そしてまたいつものようにお茶を飲み、和菓子をツマみ、何てことない世間話のようにその一撃を社員に振り落とした。
以来、先輩社員も後輩社員も今年入ったばかりの新人も、僕を見て一斉に吹き出す。たまたまやって来て用事を済ませたらしい林檎さんが会議室から出てきたと思ったら 「クリスタルマジーック!」と派手に変身ポーズを決めて、そこから指をさしてまでゲラゲラと笑ってくれた。
「それでいつ出発なの?パン屋で住み込み?あの黒猫はどこ?」
「まだまだ続きますか」
「そういや、もうすぐハロウィンだね~」
「まだまだ続きますかっ」
聞いてない。僕の反応は二の次。イジる事に喜びを感じている。しばらくは林檎さんの酒の肴になりそうだ。だが高町社長に限っては笑ってもいられないと、僕に目配せ、場所を会議室に移して、ここから真摯な報告会となった。
元から会議室で書類整理をしていた上杉部長とは、ここで合流。林檎さんは一体何の用事だったんですか?聞くだけ野暮と言うものだろう。
3人きりになった途端、高町社長は開口一番、
「また断られたよ」
2人の視線が僕に集中した。ここで事の次第、彼女とかわした会話の数々、僕は全てを話して聞かせる。「いい勉強になりました」としかフォローできない。
「お兄様の前でナンだけど」と上杉部長は遠慮して見せながらも、「聞いてると、いつだったか保険会社の研修でやらされた〝北極で冷蔵庫を売る〟という実習を思い出す」と半笑い。今もツボっているのが隠せない様子である。
「僕にとっても、それと同じくらい難解でした」
これが正直な感想である。高町社長は、やれやれと頭を抱えた。
「呪いだの魔法だの、ゲームで脳疲労を起こしているとしか思えない」
巫果はゲームはやらないんだけど、と言及したうえで「確かに昔からちょっと変わった子で。それが社会に適応できないレベルとなると問題だな」
「というか、心配だな」と、兄の気持ちを上杉部長が代弁した。
「そうだな。おまえんとこの弟?妹?ほどではないにしても、だ」
「俺は今まで、きょうだいの心配なんかした事は1度も無い、な」
少々、空気が陰険になった。この2人が顔を突き合わせると、いつも微妙に張り合うような気がする。
「きょうだいは相変わらず美人なのか?」「元気だ」
「きょうだいにもう彼氏は居るのかな?」「元気だ」
バチバチと火花が散った。
部長の弟さんは、オネェが趣味の男の娘。林檎さんが言うには、超美人らしい。
合コンの女王だとか、兄貴と二股だとか。不毛なやりとりを繰り返していたそこに、部長にはこれ幸いとばかりに内線が鳴る。第5に入る電話は、基本的にまず僕が取るのが決まりだ。というか、暗黙のルールになりつつある。
『高町巫果さんという方からです』
女性社員が相手を告げた。噂をすれば。「高町社長の妹さんからです」と伝えると、「何で俺がここに居る事知ってんだ?」高町社長は首を傾げる。
「魔法だろ」と、上杉部長は、くくくと肩を震わせた。
『いえ。電話は鈴木さん宛てです』
「え?僕?」
2人の視線が一極集中、僕に集まった。
上杉部長が、瞬時にモニター通話に切り替える。まるで公開処刑。横で高町社長に聞かれているかと思うと下手な事言えない。僕は襟を正した。
「はい。鈴木です」
受話器の向こうからガサガサと雑音がした。人の声らしき音もする。どうもお嬢様以外に誰かが側にいるらしい。お嬢様は、『先日はありがとうございました』とか。『お忙しい所申し訳ございません』とか、そういった当たり障りない挨拶の後、
『鈴木さんとはまた会うお約束を致しました。それはいつに致しましょう』
「約束?」
途端、高町社長の目つきが鋭くなる。僕は慌てて首をブルブルと振る。
「そのような約束を……したでしょうか?」
『〝では、また〟と仰ったでしょう?』
言ったような言わないような。あれの事か。
「それは社交辞令といいますか。本当に会うという意味とは違くてですね」
「会ってやってくれ、鈴木くん」
それは背後から聞こえてきた。見ると高町社長が苦笑いで、「責任を取ってくれないか。鈴木くん」とか言う。何の事かと思えば、
「聞けば、君は巫果とホテルで2人きり、1時間以上も出てこなかった」
「誤解です!」
社長と部長、2人揃って吹き出した。イジられているだけとはいえ、あらぬ誤解をされるのは本意ではない。電話の向こうでは、僕と同様、お嬢様も混乱しているようで。
『どうしてお兄様がそこに?』
そこで高町社長が強引に電話を代わった。
「巫果、今度の日曜11時。この鈴木くんといつものカフェで待ち合わせだ」
普通の格好でいいぞ、と言って、そこで電話を切った。こっちの都合を他人が決める。ここ以外でこんなの、聞いた事が無い。
「巫果と1時間以上居られる男というのも珍しいもんだ。お見合い相手でさえ10分と持たなかったから」
「だからといって僕ではどうにも」
目線を飛ばして助けを求めてみた所で、上杉部長は、ただただ笑っている。
「男友達という免疫すら無いクセに、結婚を安易に考えて不毛なお見合いを繰り返す。そろそろ目を覚ましてもいい頃だ。アルバイトとも違う社会勉強が必要かもしれない。君みたいな一般人と触れ合う内に常識も芽生えてくるだろう」
そこまでは僕も頷いていた。
「君の得意な魔法で、何とか頼むよ」
それは想定外である。「首尾よく行ったら、鈴木名義で大口顧客がドッサリだな」と部長の鼻息が荒い。なるほど。「そういう取引をする訳ですか」
「俺からも個人的にボーナス出そうか。海外の旅行券でも何でも言ってよ」
「マジですか」
本気で心が躍る。高町グループの所有する健康ランドは、入場料金は少々高めだが、シャンプー付きのスカルプマッサージが特に評判なのだ。
図々しいかなと思いつつ、それを言ってみると「そんなのでいいの?」と高町社長に鼻で笑われた。僕のスケールは高町社長には小さすぎたか。
「お嬢様をちょっと好い気にさせればいい。簡単過ぎる。良い仕事だな」
「高町社長の前で、何て事言うんですか」
上杉部長の真意はいつも分かりにくい。だから言葉通りに受け取る事は無い。当の高町社長はどういう気でいるのか。僕と目が合ってにっこり笑うと、
「いいよ。ざっくり言えばそういう雑用だ。間違ってない」
高町社長は上杉部長をイタズラっぽい目で睨んだ。
「妹はまだ22だし。堅苦しいお見合いなんかするより、こんな感じで普通に、自然に出会う方が良いと思ってる」
だからといって……まさか本気で僕とどうこうなれとか思ってないよな?
不意に「〝約束を守れない人間は?〟」と上杉部長から投げかけられた。
「〝人として生きる価値無し。野良猫にエサを貰って暮らせ〟です」
「その通りだ」
いくらなんでも人前なので、敬礼はしなかった。部長の謎かけパターンはいくつもある。どれも覚えている自分が哀しい。だけど、あれは約束と言えるのか。
お嬢様の顔を思い浮かべた。約束破りと見なされるのも本意ではない。
「頼むね」
高町社長は、不意に兄貴の顔になる。そう来られるとムゲにも出来ないな。
「はい」と請け負う。
「上手くやれよ」
部長はまたしても、メモをぱちんとおでこに貼り付けてくれた。