迷彩男子の鈴木くんが、お嬢様の高町巫果さんに魔法を掛けるお話
「魔法を使ったら?ぴょーんって」
クリエイター3課に依頼した資料は、5度の修正を経て、完成した。
「おらよ」
久保田さんという先輩クリエイターが乱暴にデータを投げて寄越す。
「一応、2タイプ。どっちでもいいから上に捻じ込め」
もう知らねー……と、久保田さんは目を逸らした。僕も逸らした。
暗黙の了解。次に上杉部長が難を言えば、そこからは僕が勝手に手を入れて使う事になる。それを任された……というか、丸投げされたのだ。
この所、久保田さんのヤサぐれが止まらない。細かい修正に嫌気が差している事は想像に難くない。
第5に戻って、会議室。部長は、渡した資料に目を通しながら、
「去年までのフロー、見せて」
言われると思って、用意しておいて良かった。フローとは、ヒアリングから研修の実施、その後のフォローまでを記録したものである。経験資料ともなると、ある意味、これは会社の財産とも言えた。
フローをしばらく眺めて、そこから研修参加者のプロフィール名簿に移る。
「聞いた事の無い会社だな。34歳。経営コンサルタントか」
上杉部長は名簿とデータを交互に眺めて溜息をついた。
「こういう野郎は実のところ苦手だ」
おや?
部長が泣き事なんて珍しい。
「研修なんかやってる時間があったら現場を経験する方が早いのに」
「そうですよね。コンサルタントっていう位ですから、仕事柄、分析力には長けている筈です。自力で何とかしないんでしょうか」
僕も、思わず素朴な疑問を持った。
「困ったら横の繋がりを頼ればいい。なのに、なぜ外部に研修を依頼するのか」
「自分の事は見えない。客観的な意見が聞きたい。という事でしょうか」
「あるいは、なんらかの悪意とか」
ノウハウを盗む。誰かを引き抜く。単純に、敵情視察。
「独立前の暇つぶしかもな」
「そんな事あるんですか」
「俺の知り合いは、そういう理由で見学に来た。邪魔が過ぎる」
とはいえ、そういった仲間が勝手に営業してくれてこっちに顧客を呼び込んでくれる訳だから、部長も文句は言えないだろう。
「こうなったら、官僚と1グループにして切磋琢磨してもらおうか」
参加者名簿をめくりながら、「この経営野郎を、公僕の踏み台にする」
くくく、と笑っている。悪魔降臨。
上杉部長は官僚に厳しい。というか、遠回りの優しさが止まらない。「ムダ使いに甘んじるなど許さない」と言い、鞭振るってでも進化成長させるという思惑がちらほら。官僚中心の研修は、目が行き届くようにと必ず少人数編成だし、こんな具合にグループ分けを狙う事も多々あった。
資料にはOKを貰って、僕は会議室を後にする。たまたま目が合った女の子にコピーを頼んだ。
「こっちの3枚って、普通にモノクロでいいですか」
「あぁ、うん」
この所〝普通〟と聞くと、別の脳内領域が反応する。
「これ見て枚数、確認してね」と参加名簿のコピーを手渡した。「これ後で回収するから」「ですね」と彼女も分かっている。
「鈴木さんのデスクに置いておきます。会場準備も手配します。いつも通り」
「うん。よろしく」
最近、周囲も慣れてきたのか、何も言わなくても作業がすんなり進む。いつまでもグダグダ言うのは久保田さんくらいだ。
研修名簿には、高町グループの協力会社からも何人かエントリーしていた。彼女がアルバイトしている隆盛建設もその1つ。
あのお嬢様と……思えば、次に会う約束をはっきりと取り付けていない。
月曜日も火曜日も何の連絡も無く、このまま自然消滅かと思いきや……水曜日。
満を辞して、またもや外線に掛ってきた。運悪く、林檎さんが捕まった。
「はーい、魔法使いの鈴木さんですねぇ?彼はただいま〝魔女っ子、恋の魔法レッスン〟の途中でございましてぇ」
「林檎さん、ここに居ますって」
ちょうどシステム課に立ち寄った後、教育課で油を売っていた所にその外線が入り、そこで電話を代わったワケだが。
『鈴木さん、こんにちは』
「ごきげんよう、じゃないんだね」
「って、何で林檎さんがモニターするんですか」速攻、通常に切り替えた。
また今度の日曜日。あのホテルの同じティールームで会う手筈となる。なってしまう。横で林檎さんに探られているかと思うと、さっさと電話を切りたくて、お嬢様の言われるままに頷いてしまった結果がこれだ。
「どうよ?お嬢様のお味は。うしし」
どうって。
「普通にお嬢様ですよ。これを最後に、もう会わないと思いますが」
「なんで?」
「あのお嬢様は、次の出会いがもう決まってるんですよ」
いくら知り合いに毛の生えたような存在だとはいえ、毎週、野郎と会ってるなんて、これはマズい。
お嬢様と会ったその日のうちに、僕は必ず高町社長に報告している。僕からの報告はメールだが、社長からはいつも電話で『迷惑かけて悪かったね』と恐縮された。『頃合いを見てさ、好いようにあしらってよ』と、そんなような事を口にする。これからの展開などを伝えて、そこまでは付き添うとしても。
「付き合っちゃえばいいのに」
「軽~るく言ってくれますね。まさか酔ってます?」
「飲んでませんって。つーか、あの社長さんは釣り合いとか家柄とか、そういう小っちゃい事は気にしないと思うけど。今時の感じだし」
高町社長の砕けたキャラからして、そうかもしれない。だがそれは〝悪くない〟という消極的なチョイスであって、諸手上げてウェルカムという事とは少々違う気がした。お互い相手が居ないなら付き合ってみようか?と気安く扱える事ではない。そういう立場は重く受け止めている。ケジメのつく交友にあるとして、社長は僕を信用して下さるのだ。大丈夫です。ちゃんと、わきまえております。
「魔法を使ったら?ぴょーんって」
適当な事を言ってくれんな。「やっぱ酔ってます?仕事中に呑んでるって部長にチクりますよ」と僕は林檎さんを煙に巻いて、その場を逃げだした。
ふとスマホを見ると、山形の母親からメールが来ている。これは珍しい。息子の……何やら予感でもしたのか。〝あんた、いつなら居るの?今とか、電話していいの?〟とあって2時間前だった。どうせそんな急ぎの用事でも無いだろう。保留にして、僕はスマホを閉じた。
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