恋文参考書
副文
追伸では内緒のあの時
【詩乃side】
3月頭、卒業式の予行を終えた寒い放課後。
2年生である私は同じ文芸部員の彩を誘い、部室へと向かおうとしていた。
明日卒業する先輩方を見送るため、部室を掃除したり、準備でもしようと思ったんだ。
今まで花の準備なんかはしたことなかったけど、どうだろうかと彩に相談しようとしたところで、彼女の沈んだ表情に口をつぐむ。
普段通りを装って、誤魔化しているつもりか知らないけど、それでも傷ついていることはわかる。
ただ、その理由を知らないだけだ。
彩だけじゃない。
この前のバレンタインから、うちの部員は少し様子が違う。
後輩のふみは本命チョコを部活の差し入れということにしてしまうし、相手の一条はそれをつまみながらその他大勢と同じかとがっかりしていることが透けて見えるし。
彩は義理チョコなら渡したよ、なんてなんだか複雑な事情が絡んでいそうなことをこぼしていた。
はっきりと説明がないということは、言いたくないんだろう。
そうわかるから訊ねることはできないけど、扉に手をかけた彼女の名前を呼ぼうとすると、私より先に呼びとめる声がした。
「日生」
「章……」
小さく囁くような声が、彩からほろりとこぼれた。
低い声、鋭い目つきに口も態度も悪い。
私にとってはこわくて仕方がない金井章こそ、彩が義理チョコ……もとい本命チョコを渡した相手だ。
呆然としていた彩はなにかに気づいたのか、短く息を吸い、そしてその場から逃げ出した。
彩、と慌てて声が彼女を追いかけても、応えられることはない。
私と同じように声をあげた金井が戸惑いから瞳を揺らした。
ぐっと唇を噛み締めていて、彼の手元からくしゃりと紙の音がする。
1度顔をふせたところをただ視界に入れていた私は、彼の瞳がまっすぐで、思わず目の前に飛び出し両手を広げた。
「邪魔」
苛立ちが向けられて、肩が揺れる。
ちょうど走り出そうとしていた彼にぶつかりそうになり、怒りを向けられて。
ああ、こわい。こわいよ。
こんなヤンキーと関わりたくなんてない、話通じると思えないし、私はごめんだ。
そう思うけど、言葉をしぼり出す。
「彩のことが好きじゃないなら、追いかけないで!」
ばかで、単純で、締め切りやぶりの常習犯。
適当に笑って生きていて、むかつくことだってある。
だけど彼女の笑みに、私は何度救われたことだろう。
変に真面目で厳しいと人が遠ざかる中、彩だけはごめーんと、へらへらと、私のそばにいてくれた。
……彼女が想う人には、彼女だけは傷つけないで欲しいんだ。
きっと睨みつければ、金井は視線を受け流し、叫んだ。
「だから行くんだろ!」
風が頰を撫でる。
私の横をすり抜けて、金井が駆けて行く。
彩の元へ。
好きな人の元へ。
私はその場に残され、へたりと座りこんだ。
なにがあって、どうしてふたりはこんなに近づいたのか。
知らされていないからわからないけど、今ひとつわかった。
金井もきっと私と同じくらい、彩のことが好きなんだ。
「なんだ……こわくないじゃない」
あんなばかな子を想うなんて救えない男、なんて自分を棚にあげて息をもらした。
天井を見上げる。
きっと彩は幸せになる。
傷ついて、誤魔化して、見ていられない表情をしていた彼女の明日の表情はきっと明るいだろう。
本当の笑みを浮かべて、私の元に来てくれる未来が目を見えるようだ。
なにがあったのか報告してくれるだろうか。
……それなら、嬉しいなぁと思う。
そんな優しい時間のために、今はまだなにも知らない彼女に予告しておくため、私はそっとスマホを手に取った。