猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
次の日の朝もグレースは早起きができなかった。さすがに疲れが溜まっていたのか、まだ眠っているラルドの腕の中から起きて窓を開ける。日は昇っているが、昨日よりはずっと早い時間だ。
物音と外から流れ込む清涼な風と、なによりも腕の中から心地好い重みが消えてしまったことに気づいたラルドが目を覚ます。
「……早いですね」
眩しそうに瞬かせた目を細め、窓辺に立つグレースをみつける。寝起きの掠れた声が、グレースの鼓動を速めた。
「ぜんぜん早くないわ。また温室に行きそびれてしまったじゃない」
薔薇の世話のため、とっくにセオドールは出発してしまっただろう。寝坊の原因を作った夫を咎めると、起き出してきたラルドが温もりを取り戻すかの如くグレースを胸に閉じ込める。
「出かけなくていいのでしたら、もう一度寝ませんか」
あきらかに違う意味の込められた色気のある声に、グレースは頬を赤らめつつも断りを入れる。
「冗談は止めて。誰かに見られたらどうするつもり?」
ふたりが立つ窓際は庭からも確認できてしまう。万一真面目に働いている使用人たちに気づかれでもしたら、どんな顔を合わせたらいいというのだ。
「別に悪いことをしているわけではないのですが。仕方がありませんね、今朝はこれだけで我慢します」
乾いた唇を重ねられ、朝からどっと疲れたグレースだった。
その日は薔薇畑を見に行くことにした。まだ花は咲いていないと聞いていたが、どんなものなのか見てみたかったのだ。
だが、あの丘のように一面の緑を想像していたグレースは、若干拍子抜けする。大半の苗はまだひょろひょろと細く、数えられるほどの葉をつけているに過ぎない。これなら王城の薔薇園のほうがずっと見栄えがする。
「なんだか寂しいのね」
「これでも去年に比べるとかなり増えたのですよ。あの丘や温室で育てた株を移植したりして」
畑での作業を中断してやってきたセオドールは、土が付いたままの手で髪をかき上げる。きらきらと日の光を受け輝く髪が汚れるのも気にならないらしい。
「もとはミスル湖畔で偶然みつかったひと株の薔薇でした。それから種を採ったり挿し木をしたりして、試行錯誤を重ねながら少しずつ増やしてきたのです」
「たったひとつから?」
そう教えられると、温室やこの畑に植えられた数が驚異的に見えてくる。墓標を取り囲む多数の薔薇に至っては、どれくらいの年月がかかったのか、グレースには想像もつかない。
「あの薔薇は、たくさんのものを犠牲にして咲いているのです。だからあれほどに美しく香り高い花をつける……」
畑に向けられたセオドールの瞳が、なにかを悼むように揺れた。
「これからは、あの花が多くのものを生み出すようになる。セオドールがそうしてくれるのだろう?期待させてもらおう」
ラルドに背中を叩かれたセオドールがふわりと笑んで頷く。
「そうですね。所詮僕も、あの薔薇の魅力に取り憑かれてしまったひとりですから」
その少し切な気な柔らかい微笑みに、グレースはまたも懐かしさを感じたのだった。
物音と外から流れ込む清涼な風と、なによりも腕の中から心地好い重みが消えてしまったことに気づいたラルドが目を覚ます。
「……早いですね」
眩しそうに瞬かせた目を細め、窓辺に立つグレースをみつける。寝起きの掠れた声が、グレースの鼓動を速めた。
「ぜんぜん早くないわ。また温室に行きそびれてしまったじゃない」
薔薇の世話のため、とっくにセオドールは出発してしまっただろう。寝坊の原因を作った夫を咎めると、起き出してきたラルドが温もりを取り戻すかの如くグレースを胸に閉じ込める。
「出かけなくていいのでしたら、もう一度寝ませんか」
あきらかに違う意味の込められた色気のある声に、グレースは頬を赤らめつつも断りを入れる。
「冗談は止めて。誰かに見られたらどうするつもり?」
ふたりが立つ窓際は庭からも確認できてしまう。万一真面目に働いている使用人たちに気づかれでもしたら、どんな顔を合わせたらいいというのだ。
「別に悪いことをしているわけではないのですが。仕方がありませんね、今朝はこれだけで我慢します」
乾いた唇を重ねられ、朝からどっと疲れたグレースだった。
その日は薔薇畑を見に行くことにした。まだ花は咲いていないと聞いていたが、どんなものなのか見てみたかったのだ。
だが、あの丘のように一面の緑を想像していたグレースは、若干拍子抜けする。大半の苗はまだひょろひょろと細く、数えられるほどの葉をつけているに過ぎない。これなら王城の薔薇園のほうがずっと見栄えがする。
「なんだか寂しいのね」
「これでも去年に比べるとかなり増えたのですよ。あの丘や温室で育てた株を移植したりして」
畑での作業を中断してやってきたセオドールは、土が付いたままの手で髪をかき上げる。きらきらと日の光を受け輝く髪が汚れるのも気にならないらしい。
「もとはミスル湖畔で偶然みつかったひと株の薔薇でした。それから種を採ったり挿し木をしたりして、試行錯誤を重ねながら少しずつ増やしてきたのです」
「たったひとつから?」
そう教えられると、温室やこの畑に植えられた数が驚異的に見えてくる。墓標を取り囲む多数の薔薇に至っては、どれくらいの年月がかかったのか、グレースには想像もつかない。
「あの薔薇は、たくさんのものを犠牲にして咲いているのです。だからあれほどに美しく香り高い花をつける……」
畑に向けられたセオドールの瞳が、なにかを悼むように揺れた。
「これからは、あの花が多くのものを生み出すようになる。セオドールがそうしてくれるのだろう?期待させてもらおう」
ラルドに背中を叩かれたセオドールがふわりと笑んで頷く。
「そうですね。所詮僕も、あの薔薇の魅力に取り憑かれてしまったひとりですから」
その少し切な気な柔らかい微笑みに、グレースはまたも懐かしさを感じたのだった。