猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
「ねえ、コニー」

下でお茶にしましょう、と荷物を抱えた彼女を呼び止める。

「フィリスはラルドのことを嫌っていたの?だから、あんなバカなことをしてまで……」

フィリスとともにここで生活していたコニーなら、彼女の本当の想いを知っているのかもしれない。

コニーは困ったように眉尻を下げ、霧雨に煙る窓の外へと視線を投げる。その方向にはミスル湖があった。

「フィリス様は、一番大切な人のところへ向かわれたのです。『自分』を捨てても構わないくらい愛した人の元に」

「あの子にそんな人がいたの?」

戸惑うグレースの問いに、コニーは曖昧な微笑みを返すに留める。

「夫もラルド様も、フィリス様はいかなったことにしようとするんです。でも私ひとりくらい、あの方がここで過ごした十八年を覚えていてもいいのではないかな、って思っています」

部屋をぐるりと見渡して、にっこりと笑った。

「たとえいつになっても、どんな形でも。またここに戻ってきてくださるのなら、私はフィリス様が帰れる場所を残しておきたいんです」

グレースはなぜかその言葉の中に悲痛なものを感じらず、本当にいつの日か、ひょっこりフィリスがその『最愛の人』と戻ってくるような気にさせられたのだった。





白薔薇館に滞在する最終日の早朝となった。夕方までにヘルゼントの屋敷に戻り、明朝には王都に向け発たなければならない。
昨夜はラルドに早寝を宣言し、約束の時刻に間違いなく起こしてもらうようカーラたちに頼んでから就寝した。

朝霧が立ちこめる中、館を馬車で出発する。今度はちゃんと温室までの道を通れる大きさだった。その代わり、荷馬車に多少毛が生えたようなものだが、まだ星の残る空が徐々に明るくなっていく様子を直接眺めることができ、グレースは満足している。

「まだ朝は寒いくらいなのですよ。体調を崩したらどうするつもりです」

反対に諸々の理由で機嫌が斜めに大きく傾いているラルドは、しっかり厚着をしているグレースを自分の外套の中に包み込む。
やっとラルドに対して普通に接することができるようになってきたマリが、今度は別の意味で赤くなる顔ごと視線を逸らしていた。

昨日の雨でぬかるんだ道を、セオドールは危なげなく馬車を操り林の中を進む。霧が晴れ始め、木立の隙間から藍色を明るい青に変えていく空が覗いていた。湿り気を帯びた朝の空気はたしかにまだひんやりとしているが、深呼吸して胸いっぱいに吸い込めば、身体の内側から浄化されていくような感じがする。

早起きの小鳥たちの歌に出迎えられ、一行は無事温室へと到着した。

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