猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁


グレースの消えた扉に向かってラルドは小さく肩をすくめ、自分も辞去の挨拶をしようと主を振り返る。そこには、つい先ほどまで屈託のない明るい光を輝かせていたはずなのに、今は雨粒が落ちる水面のように揺らぐ琥珀色の瞳があった。

「……グレース叔母上を姉の代わりにというわけではないのだが」

「承知しております。フィリス様の代わりなど、どこにもいらっしゃいません」

あんな、用意してやった至高の椅子を投げつけて返すような王女など、他にいてたまるものか。切なげな表情を浮かべたままラルドは内心で毒づく。

「まったくその通りだ。姉上ほど聡明で美しく慎ましやかな女性は、この国中探しても見つかるまい」

イワンは悲痛な思いで眉間を寄せていたが、はたと気づいて慌てて言い足した。

「あ、いや。別に叔母上がダメだとか、そういった意味ではないぞ。少々お年を重ねられているが、若い娘にはない落ち着きをお持ちだ。初めは妹姫たちのひとりをとも考えたのだが、そうなるとラルドを最低でもあと五年は待たせることになってしまう。それに三十路になられる叔母上を、このままというわけにもいかなかったし……」

若い王は口を開けば開くほど、墓穴を掘り続ける。人柄としては素直で良いと思うが、今後の外交を考えるともう少し思慮深い発言を願いたいところだ。

内心の侮蔑と憂いを隠し、ラルドは穏やかな笑顔を貼り付けた使い古しの仮面を被る。

「グレース様は聡明なお方です。当家にはもったいないくらいのご縁だと思っています。私もちょうど、そろそろ家のためにも身を固める時期だと考えておりました」

ラルドは、自身も貴族が結婚する年齢としてはとうに適齢期を過ぎていることを自覚している。家督を継いでしまった以上、そう遠くないうちに相応の家を見繕って婚姻関係を結ぼうと思っていたところだ。それが一度は縁を繋ぐことを諦めた王家なら、文句などあるはずがない。

唯一気にかかるのは彼女の母親の出自だが、ヘルゼント家にとって強力な対抗馬となりうる派閥の現れない王宮の現況では、それさえも取るに足らない問題だ。
順調に話が進めば、来年にはイワンも他国の姫を娶る算段になっている。
そのこともあり、ラルドが本格的に妻帯を考え始めていたのは事実だった。

「そうか。そう言ってもらえると、私も一安心だ」

安堵の息をつく国王に挨拶をして、ラルドも己の職務に戻った。

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