猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
応接間どころか、この館中がリンゴを煮詰めた甘酸っぱい香りに包まれていた。

「キャロル様自らが焼いてくださったなど、もったいない」

そう言いつつ、ラルドは焼き菓子を優雅に口に運ぶ。薄い生地を何層にも重ねたリンゴの甘煮がのる菓子は崩れやすく食べにくいものなのに、彼の皿の上は猫が舐めたように綺麗だ。

「伯爵のお口に合えばいいのですけれど」

謙遜しつつ口元が嬉しそうな母は、ついさっきまで使用人に混じり厨房に立っていた。今はさすがに身なりを整え、女主人らしく泰然と賓客を迎えている。

和やかに流れる空気。このまま、茶だけを飲んで帰ってくれればいいのに。
そんなグレースの儚い願いは、茶菓子を平らげたラルドによってあっさり破られた。
おもむろに立ち上がった彼は、最上位の礼をキャロルに向ける。

「ご挨拶が前後してしまい、大変失礼いたしました。キャロル様とお話しをさせていただいていると、僭越ながら、幼い時分に亡くした母を思い出し、いつ気安くなってしまって」

「あら、構わないのよ。そう言ってもらえるとわたくしも嬉しい。むしろ、義理とはいえこんなに立派な息子が持てるのかと思うと、こちらの方が恐縮してしまうわ」

「では、お許し頂けるのでしょうか」

不安げだったラルドの顔が朗らかな笑みを浮かべる。それに負けず劣らずの明るい笑みで、キャロルは応えた。

「もちろんですとも。どこに、この結婚を反対する理由があるというの。ねえ、グレース?」

慶事に表情を綻ばせるふたりを他人事のように眺めていたグレースは、我に返り立ち上がった。

「そんなの!……あっ」

手をついた勢いで揺れた器から零れた茶を、マリが拭き取りながら主に尋ねる。

「グレース様、火傷などされませんでしたか?お召し物は……」

すかさず主の身を案ずる彼女に対し、年甲斐もなく取り乱した自分を恥じ入った。確認しようとする彼女を「大丈夫」と制し、ゆっくり腰を下ろす。
大きく息を吐き気持ちを落ち着かせてから、母に向き直った。

「母さま。申し訳ないけど、少しの間だけ彼とふたりにしてもらえるかしら?」

「でも……」

キャロルはちらりとラルドを窺う。未婚の男女を、昼間とはいえひとつに部屋に残すなどできないというのも当たり前である。だが、これから彼とする話はできれば母には聞かせたくない。

< 15 / 126 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop