猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
いったん目を閉じ深呼吸してから、ゆっくり瞼を持ち上げたグレースはキッ、と夏の青空を思わせる瞳を見据えた。

「わかりました。その契約を結びましょう。ただし、こちらからもひとつ条件を出させてもらうわ」

「なんなりと」

満足そうな笑顔で首を傾げる。

「わたしたちが夫婦でいる間は、ほかに女性をつくらないこと」

「夫婦でいる間、とは?」

生涯浮気は許さない、というわけではないのか。ラルドが、虚を突かれたように今後は首を捻った。決意したはずのグレースの瞳が、僅かに泳ぐ。

「子どもが授からなかった場合よ。その時は外につくるのではなく、きっぱり離縁してちょうだい。そうね、五年もあればいいわ」

自分の年齢を鑑み、周囲を納得させるには十分な期間のはずだ。

「それとも、自分の誠実さを、月の姿の数だけ妃をもつダーヴィル神に誓うくらいの貴方には無理な注文かしら?」

ラルドは数回目を瞬かせてから小さく肩を竦め、大袈裟に驚いてみせた。

「とんでもない。あいにくと僕は、二十八の妃を持つような甲斐性も体力も持ち合わせていませんよ」

グレースの嫌みを平然とかわしてから立ち上がり、傍らにやってきて胸に右手を添え目線を下げる。

「承知いたしました、我が姫」

「……これで、交渉成立ね」

引きつった笑みで応え椅子から立ち、同盟の証に右手を差し出した。そのグレースの足元にラルドが片膝をつく。予想外の行動に肩を揺らし半歩足を下げた彼女の手をとり、恭しげに捧げ持つ。

「あらためて申し込みます。グレース様、僕の妻となってくださいますか?」

思いのほか真剣な色を湛える瞳に見上げられ、どくんと心臓が脈を打った。

これは人生に関わる大きな契約を結ぶせい。次第に速さを増す鼓動にそう理由をつけ、グレースはことさら鷹揚に頷いた。

白い指先に誓約の口づけが落とされる。一瞬そこに火が点いたように感じたが、その場所から全身に広がっていったのは熱ではなく、氷のように冷たい感情だった。
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