猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
「なにか?」

訝しげにかけられた声の方に視線を動かすと、さきほどの少年の眉間にシワが寄った顔がこちらを向いていた。

薄い栗茶の柔らかそうな髪が風にそよぎ、その隙間から陽光が零れている。大きな瞳は、グレースの頭上に広がる空をそのまま映したのかと思うほど澄みきった青。自信に満ちた立ち姿と少しの険しさを含む表情から大人びた印象を受けたが、たぶん彼女とさほど変わらない年齢だろう。

グレースは館から持ち出した、大陸創世の神話が綴られている本を両手で胸に抱えた。もし神々にも子どもだった時代があるのなら、太陽神ダーヴィルは彼のような見目をしていたに違いない。

「こんなところにいて、主人には叱られないのか」

すぐそこに咲く薄紅の薔薇で染めたような唇から発せられた、少年らしい高い声で問われたが、グレースがその内容を理解するまでに少し間が開いてしまった。

「主人?」

侍女見習いかなにかだと思っているのだろうか。頭を俯けて自分の格好を確認すれば、たしかに朝、掃除をするのだからと質素な服を着せられたままだ。
一方で少年は、いかにも良家の子息といった格好である。そのためなのかと不遜な態度の理由がわかった。だが、

「無礼ね。わたしは……」

息巻きかけた声が、一層濃くなった薔薇の香りにほわりと包まれ勢いを失した。

「ラルド?そこにいるのは、ラルドなの?」

それを聞いた途端、少年の顔から眉間のシワが消え明るく輝く。まるでグレースが目の前にいることを忘れ去ったかのように破顔し、彼女の背後に呼びかけた。

「ロザリー様!お久しぶりです」

聞き覚えのある名にグレースも振り返る。するとそこに、満開の薔薇の花も霞んでしまう美貌の人が、穏やかな笑みを湛えて佇んでいた。

「まあ!グレース様もご一緒でしたのね。しばらくお会いしない間に、ずいぶんと背が高くなられて」

グレースの異母兄、ギルバート国王の側室であるロザリーだった。

「ねえさま!外になど出られて、お身体は平気なの?」

「ええ。今日はお天気も良いので、久しぶりに外の空気を吸いに出てみました。薔薇が綺麗だと聞いたので」

眩しそうに菫色の眼を細める彼女は、昨年念願の第一子を懐妊して以来、身体の不調が続いている。一時は母子共々命を危ぶまれるほどの難産の末に女児を出産してからも、床に就く日の方が多い生活だと聞いていた。

ロザリーが王のもとへきてから、実際に顔を合わせたのは数えるほどしかなかったが、キャロルと同じく地方領主の娘で側室という境遇のためか、グレース母子にも気を配ってくれる、王宮では特異な存在だった。
グレース自身も本当の姉のように慕っている。
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