猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
唐突にクスクスと笑い声がし、グレースは自分のことかと顔を上げる。だがそれは、彼女の周囲から発せられたものではない。

「ごきげんよう、ロザリー。子守をなさってるの?大変ね。ああでも、自分の子の世話をしなくていいのだもの。それくらい構わないのかしら」

日傘を侍女に持たせ悠然と近寄ってきたのは、王妃アイリーンだった。一同の挨拶を悠然と受け満足げに微笑む。その傍らに立つ乳母が抱く幼子に自然と皆の目が向けられた。

「イワン王子も大きくなられましたね」

ロザリーににっこりと笑いかけられたイワンは、びっくりしたように大きな目をぱっちりと開き琥珀色の瞳で見つめ返す。やがて小さな口を大きく開いて言葉になりきらない声を出しながら、目一杯広げた両手を彼女に向けて伸ばしてきた。

「え?あら、どうされました?」

腕の中で身じろぎを始めた王子を落とさないよう、焦った乳母が抱え直す。それでもイワンは動きを止めず、何度もロザリーに訴えかけるように身体を揺らしていた。
誰がどうみてもロザリーの元へ行きたがっているのだが、乳母は弱り顔で徐々に表情の険が増すアイリーンを窺うばかり。
そうしているうちに、とうとう火がついたように泣き始めてしまった。子育てに熟知しているはずの乳母がどんなになだめすかしても、イワンは泣き止まない。

ロザリーも悲痛な面持ちでその様子を見守っているが、母親である王妃の許しなしに王子を抱くことなどできない。胸の前でもどかしげに両手を重ねていた。

「王妃様、いかがすれば……」

身体をのけ反らせて腕から逃れようとする王子を必死の思いで抱きかかえる乳母が指示を仰ぐが、アイリーンは僅かに片眉を上げただけで我が子を受け取ろうとはしない。それどころか、さっさとその場を立ち去ろうとした。
仕方なく乳母も、泣き叫ぶイワンとともに王妃のあとに続こうとする。

「お待ちなさい」

グレースは持っていた本をラルドに押しつけ、その前に進み出て行く手を遮った。

「なっ、なんでしょう?」

不安げに訊き返した乳母に対し、グレースはイワンの泣き声に負けないよう声を張り上げて命じる。

「わたしに王子を抱かせて」

背後で起きた異変に声で気づいたアイリーンが振り返り、眉間のシワを深めて彼女の背を見下ろす。アイリーンはロザリーと違い、王妹とはいえ母親の身分が低いグレースの存在を疎ましく思っていた。

「貴女のような子どもになど無理です。大切な王子に万が一のことが……」

「問題はないわ、トビーで慣れているもの。それにこんなに泣いていてかわいそうじゃない。わたしはこの子の叔母よ」

イワンの真っ赤な泣き顔をつま先立ちになって覗き込むと、突然現れた見知らぬ顔に一瞬涙が止まる。その隙に、ひょいと乳母の腕の中からイワンを取り上げてしまった。

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