猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
「あっ!」

「にゃあ~」

思わず上げてしまった声に樹上の黒猫が嬉しそうな声で応え、高い枝からグレースを目指して飛び降りる。だが、届かずにずいぶんと手前に着地した。正確にいえば……。

「うわっ!なんなんだ!?」

「きゃあぁ~!!」

仲睦まじく語り合っていた男女の片方、男の頭の上にドサリと落ちたのだ。男が取り去ろうと頭の上に手を伸ばした途端、猫は彼の頭を踏み台にして思いっ切り飛び跳ねる。鋭い爪が頭皮に刺さったのか再び悲痛な叫び声が上がり、それが女の方にも飛び火した。

見事なことに、彼女は飛んできた黒猫の腹を両手で掴むと、すかさず金切り声を発しながら放り投げる。緩やかな放物線を描きながら、両手脚を広げ背中が地面を向いたままという猫にあるまじき格好で落下してくる彼に、グレースは必死で手を伸ばす。

「ジムっ!」

ずしりとした重みを腕の中に感じて、グレースは安堵のため息をついた。と、次の瞬間に眦を吊り上げてこちらの睨む貴婦人と目が合う。

「ご、ごめんなさい。怪我は……」

猫を抱えたまま膝を折った彼女を見て、貴婦人は思い出したように持っていた扇で白い顔を覆い隠した。

「わたくし、失礼しますわっ!」

慌ててその場を立ち去る。高飛車な鼻にかかった掠れ声と、すれ違いざまに感じたまとわりつく甘い残り香に覚えがあるような気がして、グレースは記憶を辿った。

「ああ、確かマクフェイル男爵夫じ……んっ!?」

以前に嫌々ながら出向いた夜会で、数回会ったことがある。だが“夫人”ということはもちろん既婚者だということで、そしてここにいる男は彼女の夫ではない。

「グレース様の猫でしたか。それにしても、貴女にはいつもおかしな場面でお会いしますね」

爪痕が痛むのか、薄茶の髪の中に指を差し入れながらも男は艶やかな微笑みを作る。反対にグレースは眉をひそめた。

「それは自分が妙なことばかりしているからでは?もしかして貴方、人妻にまで手を出しているの?見境がないのね」

「人聞きの悪い。先に誘いをかけてきたのは彼女の方ですよ。おおかた、男爵が陛下の縁談をまとめるため、他国に出向いていて長期間留守なので、暇を持て余しているのでしょう」

形の良い薄い唇の両端を上げた冷笑を浮かべながら、グレースに近付いてくる。ふわりと、リンゴに似た甘酸っぱいカモミールの香りが鼻腔をくすぐった。
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