猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
*借りてきた猫と花嫁
良く晴れた日だった。
館の周りには、片付けきれずに残った赤や黄色の落ち葉が地面に幾何学的な模様を作っていた。この窓からの景色も見納めかと感慨に浸るグレースだったが、ひょっとしたら出戻ってくる可能性がないこともないと思い至り密かに苦笑する。
すると、たっぷりひだを寄せて広がる裾の足元から「にゃあ」とか細い声が聞こえてきた。

「あら、ジムもおめかししたの?」

濃緑の裾の上に重しのように載った黒猫が、もう一度鳴いて不服を申し立てる。どうやら首に巻かれた白い布が気に入らないらしい。
天鵞絨のような黒い毛によく映える繊細なレースで縁取られたそれも、彼にとっては邪魔な存在でしかない。

「わたしと一緒ね」

いつもより濃い化粧を施され、金茶の髪は複雑な形に結い上げられた。首を少し傾けるだけで重心が偏りそうなほど大袈裟な髪飾りが付けられている。いつもよりきつく締められた腰は、息をすることさえも苦しい。
下げた首飾りはヘルゼント家からの贈り物で、胸元にくる大きな青玉が重い。まるで逃亡を阻止するための首輪をくくり付けられたようだった。

「こんな格好では逃げることなんてできるわけないのに」

ジムを目の高さまで持ち上げ鼻を突き合わせる。ピクッとヒゲが動いて、グレースの頬をくすぐった。

「ついに来たようね」

ひとりと一匹が扉に顔を向けると同時に、そこを叩いて訪いを告げる声がかかる。入室の了承をすると、正装のキャロルとマリが遠慮がちに入ってきた。

「お迎えの馬車が到着しました」

マリの声でグレースは立ち上がり、もう一回胸の中でしっかり抱きしめてからジムを彼女の手に渡す。これから式が行われる神聖な神殿内に、猫を連れていくわけにはいかない。

花嫁姿の娘の前に立ったキャロルは、丸い顔の中の目を細めた。

「とても綺麗だわ、グレース。だけど、伯爵も花嫁衣装を誂える期間くらい待ってくれたらよかったのに」

「わたしにはこれで十分よ。だけど、本当にこれって、母さまが着ていたものなの?」

なにぶん急なことで、新たな婚礼用の衣装を用意する暇もなかった。これは母が若い頃作ったものに多少の手を入れ、花嫁衣装として仕立て直したものだ。グレースは自分が身につけている衣を見下ろし、ほとんど余裕のない胸のあたりを手袋をした指先で摘まむ。今のキャロルは、グレースの倍はあろうかというふくよかな胸と腰回りである。

「ええ、そうよ。陛下に……貴女のお父様に初めて正式に謁見をしたときのもの。着られなくなったからと、処分してしまわなくてよかったわ」

母の若い頃を描いた肖像はあるが、現在とは似ても似つかぬほっそりとした姿は、画家が気を利かせたものだとばかり思っていた。自分もあと三十年経つと、こうなるのかと思うと少々複雑なグレースだ。

一度も会うことが適わなかった母の両親、つまり彼女の祖父母が娘の晴れ舞台に用意したとっておきの衣装。三人の身内の想いが詰まった花嫁衣装を身につけて、今日、グレースはヘルゼント家に輿入れする。

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