猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
つい今し方までの艶めいた雰囲気とは真逆の爽やかな香りをまとう彼を、グレースは目を細めて見据える。

「フィリスがあんな形で亡くなったから落ち込んでいるのかと思えば、やっぱり変わらないのね、ラルド。今は家督を継いで、ヘルゼント伯爵になったんでしたっけ」

「おかげさまで。一年前、先王陛下が体調不良を理由に退位されたのを機に、父も隠居してしまいましたからね」

「だったら、もう少し落ち着いたほうがいいんじゃないのかしら」

「年齢を重ねても変わらないのは、お互いさまです」

厳しい表情を見せるグレースにラルドは苦笑して、彼女の腕の中にいる黒猫に手を伸ばす。ジムはそれに牙を剥き、フーッと威嚇してみせた。

「おお怖い。どなたに似たのかな」

おどけた口調で言いながら腰を屈める。大きく開いた金色の瞳と正面から合わせたラルドの青い瞳が月明かりで煌めき、急に周囲の温度が下がったように感じた。

「ご主人様の傍を離れてはいけないよ。ここはなにが起こるかわからない、危険だらけの場所だから」

不穏な空気を敏感に感じ取ったのか、にゃっ!と小さく鳴き声を上げて彼から目を逸らしたジムは、鼻面をグレースのささやかな胸に埋めて隠す。黒く滑らかな毛並みの躰が小刻みに震え始めた。その背を撫でてなだめながら、グレースはラルドを睨みつける。

「変なことを言って、怖がらせないでちょうだい!」

「貴女はよくご存知だと思っていましたが?……その怖い場所に戻らなくていいのですか?」

ラルドは祝宴が行われている宮殿の方を見やった。今も華やかな宴は続いているはずだ。
だがグレースは、つられて向けてしまった視線と自嘲の笑みを暗い地面に落とす。

「あの場にわたしがいても、皆に要らない気を使わせるだけだもの。第一、わたしに気づく人がいるかどうかも怪しいくらいよ」

現に、侍女のマリがやってくるまで、壁にへばり付くように身を潜めていたグレースの元を訪れる者などほとんどいなかった。彼女が会場を抜け出したことも知られていないだろう。
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