猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
「……もう帰るのか?部屋を用意させるから、今晩くらい泊まっていけばいいのに」

不意に聞こえてきた声はラルドのものだ。ずいぶんと親しげに話す様子が珍しいが、来賓のひとりだろうか。グレースは誘われるように近寄っていく。
覚えのある後ろ姿と、その前には彼と同じくらい長身の男。こざっぱりとした身なりからするに、広間の客ではなさそうだ。ここまで来ておきながら声をかけてよいものかと迷っていたグレースに、ラルドより先に男の方が気づく。

「ラルド様」

彼の目線を追ってラルドが振り返り、ようやくグレースを見留めた。

「姫。どうしました?」

新婚の妻を放置しておきながらひどい言い草である。だからといって特別用事があったわけではない。話の方向を変えることにした。

「……そちらは?」

近づいてみると、緩やかに波打つ金色の髪と宝石のような翠色の瞳になぜか既視感を覚える。だが、どう記憶を掘り返してみても該当する人物には思い当たらない。

「ああ、これはセオドール。領地にある館で園丁をしているものです」

「園丁……?」

それもヘルゼント領にいる者なら、グレースはもちろん初見のはずである。

「初めまして、奥様。セオドール・バセットと申します。この度は、ご結婚誠におめでとうございます」

その身分からは想像もできないほど丁寧で優雅な礼を贈られ、ますますグレースは不審を募らせた。歳は自分たちより少し上にも見えるが、外仕事をしているわりに白い肌の顔は優しげに整っている。

「前にどこかで会ったことがあるかしら?」

「いいえ。私は王都に来るのはこれが初めてです」

やはり自分の勘違いか。グレースはスッキリしない。

「新婚初日から、ほかの男を口説こうとするなど、貴女もなかなか大胆ですね」

「ちっ、違うわ。そんな意味じゃ……!」

慌てるグレースを無視して、ラルドはセオドールとの会話を続けてしまう。

「だったら余計にゆっくりしていけばいい」

「ありがとうございます。ですが花の世話も人任せにできませんし、妻と娘が待っていますので」

置いてきた家族のことを思い出したのか、ほわりと顔がほころんだ。その柔らかな表情が、またグレースの胸中をモヤモヤとさせた。
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