猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
挨拶もそこそこに私室に入ったグレースは、マリの手を借り着替えを済ませるとようやく人心地がつく。
解いた髪を梳いてくれている彼女に、グレースが鏡の中の疲れた自分の顔を見ながら訊いた。

「本当に城の館に残らなくてよかったの?無理を言ってしまったのではない?」

「姫様こそ、わたしでよろしかったのですか?もっとお役に立てる者がいくらでもおりましたでしょうに」

王城の館から連れてきた侍女はマリひとりだ。ヘルゼント伯爵家には十分すぎるほどの使用人がいる。それでもグレースが敵地のような場所にひとりで乗り込むのは心細く感じていたところ、彼女が申し出てくれたというわけである。

「あなたが一番ジムの扱いがうまいもの。それから、もう『姫様』はよして」

「あっ、申し訳ございません。……奥様?」

躊躇いがちに呼ばれれば、頼んでおいてむず痒く感じる。どのくらいでこの呼び名になれるのだろうか。

グレースの髪を梳かし終わったマリが、早くも新しい寝床でくつろいでいたジムを呼ぶが、鬱陶しそうにヒゲを数回動かして応えただけでまた寝入ってしまった。

「ジム様。グレース様はお疲れですので、今夜はわたしのところでお休みしましょう。――失礼します」

館から持参した彼の匂いの染みつく敷布ごと抱え上げようとする。

「そのまま寝かせてあげて。初めての場所で不安なのはジムも一緒だわ」

「ですが……」

「それに、近頃ずいぶんと寒くなってきたし。一緒に寝ると暖かいのよ」

幼いころから猫を飼っていたグレースは、暖を取るために彼らを抱えて眠るのが冬の常だった。ジムを伯爵家に連れてきた理由のひとつでもある。

「そっ、それではよけいに、今宵はお連れいたします!!」

声に驚き起きてしまったジムを布に包みぐるぐる巻きにして持ち上げたマリは、「ごゆっくりおやすみくださいませ」と引き止める間もなく退室してしまった。

この屋敷の使用人部屋はそれほど寒いのだろうか。自分付きの侍女なのだからそれほど待遇は悪くないはずなのだが、と首を傾げる。
明日にでもラルドに言って改善させる決意をしたグレースは、鏡台の上にヒナゲシが置き去りにされているのをみつけた。一日中髪に挿していたためにかなり萎れている。茎を手に取るとくたりと花が下を向く。

「水をやれば元に戻るかしら」

なんとなくそのまま捨てるには忍びなく思い、適当な器を求めて辺りを見回すが、なにぶん勝手のわからない場所である。部屋中を探すより訊いてしまった方が早い。
グレースは呼び鈴の紐を引こうとしたが、すんでのところで思い止まる。
今日一日働き詰めだった彼女らの手を煩わせるまでもない。自分から取りに行こう。

花を手に近づいた扉がひとりでに開く。グレースの目の前に現れた人物に「またか」とため息が出た。
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