猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
「もしかして貴方は、一日中わたしを見張っているの?そんなことしなくても、逃げたりなんて……っ!?」
「さて、どうだか」
突然手首が掴まれ、痛みに耐えきれずに持っていたヒナゲシを落としてしまう。
「なにをするの?」
「こんな夜更けにどちらへ行かれるつもりでしたか?」
「私はただ、花を……」
床に落ちたヒナゲシを見やるが、それに構わずグレースを押し込むようにして部屋に入ったラルドは固く扉を閉ざし、ようやくグレースから手を離した。赤くなった場所を押さえてラルドの睨み付けても、冷笑で受け流される。
「すみません、つい。どうも我が家は花嫁に逃げられることが続いていたせいで、疑心暗鬼が強くなっているようです」
「それは、フィリスのこと?」
グレースが、己の死をもって彼との結婚から"逃げた”姪の名を口にすると、一瞬だけラルドは不審な顔をした。
「え?……ああ、そうですかね」
なにかを思い出したように小さく笑い、手首を押さえていたグレースの手を外す。すでに痛みも赤みも引いているその場所に、ラルドの唇が押しつけられた。
「姫にまで逃げられなくて助かりました」
「……あなたも、いつまで姫と呼ぶ気なの?条件付きとはいえ、わたしたちはもう夫婦になったのよ」
熱など持っていないはずの手首から伝わるなにかを紛らわせるように、グレースはそこから顔を逸らす。
「それもそうでした。ではさっそくですが、夫婦らしくすることにしましょう」
何のことだと思う暇もなく腰と膝裏に腕が回され、身体が持ち上がる。反射的にラルドの首に腕を絡めてしがみついた。
「ずいぶんと軽いですね。ちゃんと食事は摂っているのですか?ーーグレース」
耳のすぐそばで名を呼ばれどうすればいいのかわからず、グレースは彼の首筋に顔を埋めてしまう。すると今度は間近に感じる体温で動悸が始まる。
ラルドはそのまま足を進め、奥の部屋に続く扉を、彼女を抱いたまま器用に開けた。
「この香り……!?」
途端にむせかえるほど濃い薔薇の香りがグレースたちを包む。
匂いの元を辿って首を動かせば、部屋の至る所に薔薇が飾られているのが、淡い燭台の灯りで見てとれた。さらに寝台の上には、花びらが散りばめられている。
そこに静かに降ろされたグレースは、菫色で縁取られた白い薔薇の花びらを一枚、手のひらに乗せた。
「珍しい薔薇ね。それにこの香り。さっきの……セオドールからしたものと同じだわ」
同じ薔薇でも種類や季節によって香りは微妙に異なる。その中でも、この薔薇の香りは特徴的だった。
「領地の温室で栽培しているものです。彼が今日のために届けてくれました」
「そうなの。だから……」
彼から同じ匂いがしたのは当然だ。だがずっと昔にも、よく似た香りを嗅いだ気がするのは記憶違いだろうか。グレースは、花びらを鼻に近づけようとした。
「さて、どうだか」
突然手首が掴まれ、痛みに耐えきれずに持っていたヒナゲシを落としてしまう。
「なにをするの?」
「こんな夜更けにどちらへ行かれるつもりでしたか?」
「私はただ、花を……」
床に落ちたヒナゲシを見やるが、それに構わずグレースを押し込むようにして部屋に入ったラルドは固く扉を閉ざし、ようやくグレースから手を離した。赤くなった場所を押さえてラルドの睨み付けても、冷笑で受け流される。
「すみません、つい。どうも我が家は花嫁に逃げられることが続いていたせいで、疑心暗鬼が強くなっているようです」
「それは、フィリスのこと?」
グレースが、己の死をもって彼との結婚から"逃げた”姪の名を口にすると、一瞬だけラルドは不審な顔をした。
「え?……ああ、そうですかね」
なにかを思い出したように小さく笑い、手首を押さえていたグレースの手を外す。すでに痛みも赤みも引いているその場所に、ラルドの唇が押しつけられた。
「姫にまで逃げられなくて助かりました」
「……あなたも、いつまで姫と呼ぶ気なの?条件付きとはいえ、わたしたちはもう夫婦になったのよ」
熱など持っていないはずの手首から伝わるなにかを紛らわせるように、グレースはそこから顔を逸らす。
「それもそうでした。ではさっそくですが、夫婦らしくすることにしましょう」
何のことだと思う暇もなく腰と膝裏に腕が回され、身体が持ち上がる。反射的にラルドの首に腕を絡めてしがみついた。
「ずいぶんと軽いですね。ちゃんと食事は摂っているのですか?ーーグレース」
耳のすぐそばで名を呼ばれどうすればいいのかわからず、グレースは彼の首筋に顔を埋めてしまう。すると今度は間近に感じる体温で動悸が始まる。
ラルドはそのまま足を進め、奥の部屋に続く扉を、彼女を抱いたまま器用に開けた。
「この香り……!?」
途端にむせかえるほど濃い薔薇の香りがグレースたちを包む。
匂いの元を辿って首を動かせば、部屋の至る所に薔薇が飾られているのが、淡い燭台の灯りで見てとれた。さらに寝台の上には、花びらが散りばめられている。
そこに静かに降ろされたグレースは、菫色で縁取られた白い薔薇の花びらを一枚、手のひらに乗せた。
「珍しい薔薇ね。それにこの香り。さっきの……セオドールからしたものと同じだわ」
同じ薔薇でも種類や季節によって香りは微妙に異なる。その中でも、この薔薇の香りは特徴的だった。
「領地の温室で栽培しているものです。彼が今日のために届けてくれました」
「そうなの。だから……」
彼から同じ匂いがしたのは当然だ。だがずっと昔にも、よく似た香りを嗅いだ気がするのは記憶違いだろうか。グレースは、花びらを鼻に近づけようとした。