猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
その手が寝台に縫い止められ、同時に身体ごと押し倒される。仰向けにされたグレースの目の前に、ラルドの顔が迫っていた。

「ラル、ド……?」

「つくづく、女とは自分のことしか考えない生き物なのですね。初夜の床で、ほかの男の名を気安く口にするとは」

グレースを見下ろすラルドの瞳から伝わってくるのは、嫉妬ではない。嘲りだった。

「まあいいでしょう。たとえ誰かを想いながらだろうと、貴女を抱くのは僕なのですから」

彼女の周りに満ちていた薔薇の香りが、一瞬違うものに変わる。ふわりと感じた甘酸っぱい香りに気を取られている隙に、グレースの唇はラルドのそれに塞がれていた。

「んんっ!?」

息を呑んだグレースの口を割って侵入してきたラルドの舌を、顔を振って必死で拒む。空いていた片手で彼の胸を押し返そうと試みるが、ピクリともしない。諦めで力が抜けた手をぱたりと落とす。すると、ラルドの顔がゆっくり離れていった。

「なるほど。こちらはお気に召しませんでしたか。たしかに必ず要るものでもありませんし、今後は省くことにしましょう」

困ったように眉根を寄せる表情は、今の状況にそぐわないほど真剣味を帯びる。
好きもなにも、グレースにとってはすべてが初めての経験で混乱しかない。

唇が解放されたことに、ほっと大きく吐き出したグレースの息が、再び止まった。

「やっ……」

思わずのけ反らせた首筋を、柔らかな栗色の髪と唇が撫でていく。徐々に降りていくそれが胸元で留まり、微かな痛みを覚える。びくりと身体を揺らすと、再びラルドが顔を上げた。

「な、なにを……」

掠れた声で問うグレースに、ラルドの口は緩やかな弧を描く。

「なに、とはご冗談を。子作りに決まっているではありませんか。予習はお願いしたはずです。これも契約の内のひとつ。それとも、今からでも取り止めますか?」

神殿で囁いたのと同じ口調で問われ、グレースは投げ出したままだった手で敷布を掴む。何度訊かれようが、彼女の答えは変わらない。

「……止められるはず、ないわ」

ぎゅっと瞼を閉じ、唇を噛みしめ、グレースはラルドの妻となる覚悟を決めた。

襟を大きく開かれた胸元に、ふっと熱い吐息がかかる。

いっそのこと、薔薇の香りに酔えればよかったのに――。そんな考えがグレースの心を掠めていった。



< 47 / 126 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop