猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
人の動く気配で、グレースの意識は深い眠りの底から浮上する。閉ざした瞼越しに感じた光の強さで、すでに日は高い位置にあることを悟った。
だが、全身を襲うだるさと刻まれた初めての痛みに、とても起き上がる気にはならない。

やや弱まりはしているが、薔薇の香りはまだ彼女の心身にまとわりつくように漂っていた。

開け放たれた寝室の扉の向こうから、会話が漏れ聞こえてくる。

「お出かけになるのですか?」

やや険を帯びた声音は、この家の侍女頭のものだ。

「ああ。今回の件で滞っている仕事が山積みでね。陛下にご挨拶もしなければならないし」

「奥様は……」

グレースは寝台で横になったまま、両腕で己のものではなくなった気がする身体をかき抱く。ここはやはり妻として、夫の見送りに出るべきなのだろうか。
しかし昨晩のことが脳裏に蘇り、ラルドの前にどんな顔をして出ていけばよいのか戸惑っていた。

「いや、昨日の今日で疲れているだろう。このまま休ませておけばいい。ドーラ、あとのことは頼んだ」

少し遠いところで扉の閉まる音がして、ラルドたちが出ていったのがわかった。

身体中から力が抜けるとともに、再び睡魔が戻ってくる。微睡み始めた眼が、足元に感じた気配で見開いた。もぞもぞとグレースの身体に沿って上ってきたそれが胸元に辿り着き、掛布の隙間からひょっこりと顔を出す。

「ジム!」

黒い毛皮を抱きしめる。その温かさが、今のグレースにはなによりも貴重なものに思えた。
< 48 / 126 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop