猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
「……申し訳ないのだけれど、私はこれで失礼させていただくわ」

薫り高い茶に口をつけることなく、グレースは辞去を申し出る。

「どうなさったの?……そういえば、さきほどから少し顔色がよろしくないかしら」

メアリーが心配そうに眉根を寄せる。

「え?ええ、そう。実は気分が優れなくて……」

適当に話を合わせて、グレースは侯爵邸をあとにした。


帰りの馬車の中で、グレースはイワンの即位一周年を祝った宴の夜のことを思い出していた。

人気のない場所で、マクフェイル男爵夫人と睦言を交わしていたラルド。あの場は自分が邪魔した格好になったが、その後はどうだったのだろうか。

彼と夫婦になったのは、それから約二ヶ月後だ。ラルドとの間に交わした不貞を禁止する契約は「夫婦でいる間」である。それ以前のことをとやかく言う権利はグレースにない。

長い間子どもができなかったマクフェイル男爵夫人の妊娠は、もしかしたら――。

結婚して間もなく半年になるが、グレースには未だ懐妊の兆しがみられなかった。このまま子を授からずに五年の月日が流れたら、最初の約束通り、ラルドは躊躇うことなく離縁を切り出すのだろう。

そうなれば、また以前のような他人に煩わされることのない穏やかな生活に戻れるというのに、自分はなにを恐れているのか。ただ、不名誉な烙印がまたひとつ増えるだけだ。

それに子どもができたらできたで、用済みになった自分は結局捨て置かれるに違いない。

だとしたら、どちらでもたいして変わらないではないか。

ふっ、と笑みを作ろうとして失敗する。同乗していたマリが、心配そうに色を失ったグレースの顔を覗き込んだ。

「大丈夫ですか、奥様。馬車を停めて少しお休みになった方が」

「なんでもないわ。それにもうすぐ屋敷に着くじゃない」

道の脇に汚れた雪が残る道を進む車窓から、来る春に沸く街並みを眺めれば、建物の隙間から屋敷を取り囲む木々が見え隠れしている。
今はまだあそこがグレースの帰る場所だった。


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