猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁


国王の執務室へと向かう回廊を歩いていたラルドを呼び止める者がいた。立ち止まって辺りを見回し、声の主を彫像の陰に見つけてこちらから近づく。

「こんな場所でお会いするなんて、珍しいですね」

「失敬だな。私だって、たまには仕事くらいするさ」

近衛師団の隊服に身を包んだアントニーが、さっそく窮屈な詰襟の釦を外して首元を寛げた。
呆れ顔のラルドが持つ書類の束をちらりと見やり、肩をすぼめる。

「そっちは相変わらず忙しそうだな」

「夏までに新王妃を迎える準備をしなければいけませんからね。国境付近の砦に配備する兵も調整しなくてはいけないですし。多すぎても少なくてもいけない。祝い事とはいえ、面倒なことです」

ため息交じりに出た言葉は、つい愚痴のようになってしまう。王宮を守る近衛師団にも、頼みたいことは山ほどあるのだ。この際、彼には存分に働いてもらおうとラルドは内心で決め込む。

「新婚の君がそんな様子では、新妻も寂しがっているのではないのか?」

アントニーが人の悪い笑みを浮かべてからかってくるが、ラルドにとってはそれも想定の内。

「ちゃんと夫としての役目は果たしているつもりですよ」

「ほう。じゃあ、あの話は本当なのかな」

顎に手を添え、思わせぶりに若葉が芽吹き始めた木を見遣る。ここでのってやらないと後が面倒だということを、ラルドは長い付き合いで知っていた。

「あの話、とは?」

仕方なく話をふってやると、そこでもまだアントニーはにやけた笑いでもったいつける。こんなときの対処法も、当然心得ていた。

「話したくないのでしたら、無理強いはできませんね。先を急いでいますので」

再び目的地へ向かおうとすれば、彼は慌ててラルドの正面に回って足止めする。

「そのせっかちな性格、少し考えた方がいいな。これから父親になるってのに……」

「ご忠告、痛み入ります。では」

「おっと!いまの、気にするところじゃないのか?」

「いったいなにをおっしゃりたいのですか。内容は明瞭簡潔にお願いします」

少しも進まない話に、いい加減ラルドも苛ついてきた。それを待ち構えていたかのように、アントニーは笑みを深める。

「おめでとう。奥方が妊娠したそうじゃないか」
< 56 / 126 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop