猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
館の入口には、おろおろと落ち着かない様子のマリが灯りを手にし、主の帰りを待ちわびていた。同じく角灯を下げた衛兵に先導されて姿を現したグレースを見留めると、一目散に駆け寄ってくる。

「ああ、よかった。ご無事だったんですね。グレース様もジム様も」

「ええ。心配をかけてごめんなさいね」

グレースは衛兵を労ってから持ち場に帰し、今度はマリに付き添われて館に入った。ただでさえ人気の少ない館内は、夜更けということもあり静まりかえっている。

「母さまはもうお休み?」

「はい。キャロル様はやはりお腰の具合がよろしくないとおっしゃられて」

年齢のせいか近頃腰痛に悩まされているグレースの母親は、今宵の宴も大事をとって欠席していた。
やはり明日にでも医師に診てもらおう。眉を曇らせたグレースは、マリが何かを言い淀んでいることに気づき首を傾げる。
ほかにもなにか気がかりでもあるのだろうか。さり気なさを装い「どうしたの?」と促した。

「……あの申し訳ありません、せっかくのお祝いの席でしたのに。わたし、取り乱してしまって」

グレースの足下を照らしながら、マリが落ち込みを隠しきれない声音で謝罪した。たしかに、彼女が招待客や給仕する者たちの入り混じる会場でようやく見つけた主に声をかけた様子にはまったく余裕がなく、グレースもつい気が急いて飛び出してしまったくらいである。
だか、それを咎める気にはならない。

「気にすることはないわ。退屈な宴会を抜け出す良い言い訳になったし。なにより、登るだけで降り方を覚えないこのコがいけないんだから」

そんなことかと安心して黒猫の狭い額をコツンと指で小突けば、にゃ~と気の抜けた返事が返ってくる。
この猫が登った木から降りられなくなったのは、今回に限ってのことではない。だからなるべく外に出さないように気を付けていたのだが、珍しい格好で出かけていった飼い主の後を追い、飛び出してしまったとのことだった。

おかげで、会いたくもない人に会ってしまった。

疲労のため息をついたグレースの耳に、ラルドとマクフェイル男爵夫人との睦言が蘇る。
夫のいる身であのように艶めいた格好をするのもどうかと思うが、その誘いに乗るラルドの品性も疑ってしまう。

ふと、ジムの躰に隠れている自分の胸元を確認した。そう。これは決して、彼女のリンゴでも詰めているのではないかというほど豊満な胸と、己のそれとを比べたことによる嫉妬などではない。あくまでも、一淑女としての見解である。

自室でジムを放すと、彼はさっさと所定の位置に設えた寝床で丸くなる。
自由気ままな彼に肩を竦め、グレースは窮屈な正装を脱ぎ捨てた。
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