猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
グレースは、ふたつの墓の間に立ち空を見上げる。

「もちろんすぐには無理だということは承知よ。でもたとえ百年……千年かかったとしても、いつの日か誰もが自由に、愛し合った人と結婚できる世の中なれたらと思う。わたしが礎に、なんて大それたことは言わない。小さくても、そのきっかけを作りたい」

まだ春だというのに眩しく輝く太陽に、眩みそうになる目を細くした。

「そのためには、今のクレトリアでは『元王女』より『ヘルゼント伯爵夫人』の肩書きの方が役に立つ。だから、わたしを貴方の妻でいさせて欲しい」

自由な結婚のために政略結婚で得た名を利用しようとすることを、ラルドは嘲笑うだろうか。だが、今のグレースが利用できるものはそれくらいしかないのだ。三十年、無為に過ごした時間が悔やまれる。

挑むような視線を向ければ、眉根を寄せ厳しい顔つきのラルドと目が合う。

その眉間に刻まれた深いシワが、唐突にふわりと解かれた。

「申し訳ありませんが、その条件は呑めません」

「どうして?どこがダメ?」

ラルドはグレースとの間を詰め、丘の上に吹く風に晒され冷たくなった妻の頬に片手を伸ばす。遠慮がちに触れた指先が拒まれないことを知ると、白く滑らかな頬を右の手の平で包んで引き寄せる。

「参ったな、本当に。どうして貴女は僕の想像を簡単に超えてくるんですか」

こつんと額を合わせられ、睫毛同士が絡みそうなくらい近距離にあるラルドの瞳には、戸惑いを隠せないグレースだけが映っている。その青い瞳が瞼の下に隠された。

「僕はね、グレース。とても臆病な人間なんです。ずっと、『大切』や『特別』をつくらないようにしてきました。そうすれば失ったときや裏切られたときに、余計な失望をしなくて済みますから」

ラルドから伝わっていた熱はグレースの額からゆっくり離れていき、その代わりに左の手がもう片方の頬に添えられる。

「それなのに、貴女はいつの間にか僕の『特別』で『大切』な人になってしまっていたようです」


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