猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
ラルドの唇がさらにその先へと向かおうとしたときだった。

「あっ!」

不意に、浮かされていたようだったグレースの意識が現実に引き戻される。
中断された不満を包み隠さず表情に出した顔を、のっそりとラルドが起こす。

「どうしました?なにかご不満でも?」

「ねえ、薔薇の香りがしない?」

ミスル湖の丘にラルドが現れて以来、すっかり消えていたあの薔薇の香りがしたように思えたのだ。
窓はすべて締まっている。部屋には薔薇どころか、一輪の花もない。

「そうでしょうか」

匂いを探すが、ラルドには感じられないらしい。彼の下から抜け出したグレースは部屋をくまなく見て回るが、やはり香りの元になりそうなものはなかった。

「……ここって、フィリスの部屋だったのでしょう?」

「その前はロザリー様が使われていたとか。それがなにか?」

墓地に咲いていたあの薔薇は否が応でも、ロザリーを、ひいてはフィリスを連想させる。しかしラルドは、グレースが眉を曇らせた理由に思い当たらないようだ。

グレース自身でさえそのようなバカげたことは考えたくないのだが、やはり気分がいいものではない。仮にもし己が逆の立場になったら、と考えただけで胸が苦しくなる。
自分がこんなにも狭量で、嫉妬深い女だとは思わなかった。

「フィリスが怒っているのかしら」

呟きに対し、長い間で応えられた。

「それはありえませんね」

きっぱりと言い切るその自信の根拠は、どこにあるのか。

「でもおもしろがって、僕の恋路の邪魔はするかもしれません。あの人なら」

「それは当たり前じゃない。ラルドとは結婚までしようとした仲なのだもの」

「ああ、そういう意味では……」

困ったように眉を下げるが、ますます意味がわからなくなる。混乱するグレースに、ラルドは苦笑混じりのため息を零す。

「フィリス様には、僕と結婚するつもりはありませんでした。むしろ嫌がっていたくらいです」

「まさか……」

最後に登城した身体の弱いフィリスに甲斐甲斐しく寄り添うラルドの姿は、いまでも折に触れ人々の口にのぼることもある。ふたりの仲の睦まじさは、城の奥に引きこもっていたグレースにも届いたほどだった。

それとも、ラルドの片想いだったのか。次々と湧き上がってくる疑問。

「とにかく、僕たちの仲に異を唱えたがる者などいないということです。第一、もうとうに結婚してしまっているのですよ?だれにも文句は言わせない」

グレースの内に生じた不安ごと後ろから抱きしめるラルドの腕を掴む。なにが隠されていようが、グレースとていまさらこの手を離す気はない。
ラルドを生涯の伴侶と決めたのは、自分自身である。

「そうだ!」

今度はラルドが奇声を発した。

「薔薇で思い出しました。セオドールが薔薇茶を淹れるから、と貴女を呼びに来たのでした」










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