【完】『轍─わだち─』
眺めも良い。
芝生の庭からはかすかに、和賀江島も見える。
「せっかくのおめでた続きなんだし、うちのレベルから言ってこのぐらいの場所は借りないと」
と言い出したのは母親の百合子で、バブルの時代には派手に遊んでいた性分か、とにもかくにも華美なものを好んだ。
ちなみに。
横浜で兼康といえば、
「馬車道の兼康」
として知られる、明治の頃からの老舗の洋菓子屋で、パティシエとなった彬で五代目となる。
弘明寺の自宅も白亜の出窓と桜の巨樹が印象的で、
──兼康御殿。
といえば余談ながら地元では、
「ああ、あの兼康御殿の角を左ですね」
などと言って、タクシーの運転手が目印にするほどである。