【完】『轍─わだち─』
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その頃のつばさはというと、
「そういえば耀一郎さんの知り合いって、アートとかやってる人いたなぁ」
という切っ掛けで、蒲田を引き払って鶴見に移り、耀一郎の紹介で女流の陶芸家のもとへ通うようになっていた。
「あの人モデルさんをやってたことがあるそうだから、もしかしたらそのあたり吉凶が相半ばするかも知れないけど」
とは言っていたが、いざ通いはじめてみると、
「森島つばさちゃんが来た」
と、親近感をおぼえていたようで、何回か通ううちにすっかり打ち解けていた。
先生の専門は彫刻した角皿や食器であったが、
「私はこういうの作りたくて」
と、型抜きした桜の形に小さな穴を開け、バッグの飾り釦にしたりしていた。