【完】『轍─わだち─』
兼康さくらはというと、地元のプロ野球の球団に売り子として採用され、その後は働きが認められて球団の職員となり、同僚と職場結婚をしたあとも事務方として働き、珍しい女性の幹部となった。
のちに幹部の一人として、日本で初めてドラフト会議に参加した女性として、その名前が野球史に刻まれることとなる。
他方で。
兄の兼康彬はガーネットとの間に娘をもうけたが、事業に失敗して娘をつれて帰国し、それがハーグ条約に引っ掛かったとして娘と引き離され、ついには精神的な疾患の症状を発し、横須賀の施設へ入ることとなった。
母の兼康百合子は弘明寺の御殿を売ったあとなんとか貯金を潰して食い繋いでいたが、やがて底が尽きるとさくらの元へ転がり込み、最後はさくらの計らいで、球場の中にあったシウマイ売り場のパートをして、糊口をしのいだ。