君への轍
あけりは無言で……かすかにうなずいた。


変革の時が来ている……。

もはや、止められない……。

薫さんが競輪選手だと知ったら、母のあいりは傷つくだろう。

いや、それどころか……吉永さんのことは……あのヒトは、母にとって、どんな存在なのだろうか……。

再び、背中に震えが走った。



「ただいま……。」

蚊の鳴くようなあけりの声にかぶせて、薫は声を張り上げた。

「こんばんはー!」


怪訝そうな顔で、母のあいりが出てきた。

「はい?……どなた?……あら、あけり?……泣いてるの?」


薫の影で真っ赤な目をしている娘のしおれた様子に、あいりは胸を押さえた。

まさか……。

あいりの顔色が変わった。


薫は、大きく息を吸ってから、一息に言った。

「突然お邪魔してすみません。水島薫と申します。先月から、あけりさんと友達からおつきあいさせていただいています!ご挨拶が遅れて、申し訳ありません!」

深々と頭を下げる大きな体躯の好青年に、母のあいりはポカーンと立ち尽くした。

「……なんやなんや?彼氏じゃないんか?」

飄々と継父まで出てきた。


薫は再び頭を上げた。

「……あと一歩というところでしょうか。」


苦笑する薫の腕を、あけりがグイグイと引いた。


余計なことは言わなくていいから!……とでも言ってるのだろう。


薫は小さく、ごめんと呟いてから、あけりの両親のほうに向き直った。

「実は、今日、葵祭を観に行きまして……」


母のあいりの眉毛がぴくりと動いたのを、あけりは見逃さなかった。


「……まあ、上がりよし。夕飯時に来たんや。食べて行くやろ?」

薫の言葉を遮って、継父が薫にそう言って、踵を返した。

「では、お言葉に甘えて。お邪魔します。」

「……どうぞ。」

突っ立ってる母に代わって、あけりが薫の為にスリッパを並べた。


「ママ?大丈夫?」

「……ええ。……あけりのほうこそ……まぶたが腫れてるわ。……そんなに泣いたの?」

我に返ったあいりは、泣き腫らしたあけりの目尻にこびりついた涙をそっと指で拭った。


「……ちょっとだけ。」

あけりはそう言って、継父について廊下を進む薫をパタパタと追った。
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