君への轍
……いずれにせよ……選手と一ファンではなく……薫があけりに好意を抱いて近づこうとしていることは確かなようだ。

あけりは、しばし悩んで、それから慎重に答えた。

「ありがとうございます。でも、母がもう既に昼食の準備をしてますので、残念ですが……。」

『……あ……そっか……。もう、昼前やもんな。そっか。……じゃあ、お茶でも……。』

薫の言葉を待たずに、あけりは言った。

「せっかくですから、お花見しませんか?どこも桜、綺麗ですよ。」

『よし!花見だ!行こう!迎えに行くから。何時ならいい?』

電話の向こう側の薫のお顔が見えるような気がした。


あけりは笑いを堪えて、返事した。

「では、1時に。よろしくお願いします。」



……さて。

確かに、あけりは薫のファンだ。

しかしそれは、師匠の泉勝利を引っ張る無欲の疾走に惚れ込んでいるのであって……男として、水島薫を意識したことはない。

それだけは、ハッキリ言える。

でも、それはあけりの論理。

美人の女子校生にファンだと言われた競輪選手が、有頂天になって、その気になるのは至極当然だろう。

懸想されることが多かったこれまでの経験で、あけりにもそのあたりはよくわかる。

わかった上で、逢いに行くのだから……相応の用心が必要だろう。


あけりは、しばし考えて、和箪笥を開けた。

パンツスタイルだと露骨にバリアーを張っていることが伝わってしまうだろう。

でも、着物なら……年上の薫に合わせて精一杯のオシャレをしている……とも捉えられるかもしれない。

あけりは、少し固めの紬を選び、鎧のように着付けて武装した。




1時ぴったりに、玄関を出た。

目の前に、黒い派手な車が停まっていた。

車高の低いスポーツカータイプの車。

……乗りにくそう。

若いというか、やんちゃというか……田舎のヤンキーみたい……と、心の中で毒づきながら、あけりは笑顔で近づいた。

運転席から、大慌てで薫が降りてきた。

綺麗な水色のスーツに、黒い光沢のあるシャツという薫の姿に、あけりは後ずさりしたくなった。

……田舎のヤンキーが、順調に悪い道へと進み、本職のヤクザかホストになったみたい。

すごいわ……。
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