君への轍
いつもの薫は、徹底先行と言っていいほどに、気持ち良く逃げる。

先行すると決めているので、基本的にはスタート直後の位置にはこだわっていない。

たいてい他のラインより後ろについて、残り2周の赤板か、残り1周半の打鐘(ジャン)で動き出して先頭に出て駆ける。

ところが今日は、S(スタート)を取った……。

いつもとは違う……。


半周回って、薫があけりと聡の前までやって来た。

「ほら、あけりさん!」

聡に促されて、あけりは、あまり大きくない声で薫を呼んだ。

「水島さーん。勝ってー。」


今度は、薫はあけりのほうを見ることはなかった。

でも、薫の頬が一瞬緩んだ。


ちゃんと聞こえてる……。

ホッとしたあけりは、次に薫が回って来た時、もう一度声援を送った。

「薫さーん。」


「……はは。マーク屋が、こっちガン見してるよ。あけりさん、綺麗だから。」

「もう!聡くん!茶化さないで!真面目に応援してるんだから!」

あけりは頬を赤く染めて、文句を言った。

「はいはい。……ほら、青板だよ。」


残り3周の青板を通過した。

さすがに緊迫した雰囲気に、あけりはそれ以上、声をかけられなかった。

黙って金網に手を掛けて、薫の姿を目で追った。


残り2周の赤板を過ぎた。

薫がじわじわと動き出した。

中段を取った東北ラインの先頭の横で、スピードを緩めた。


てっきり、その場で東北ラインを抑えるのか……と思ったら……薫は一気に踏んだ。

残り1周半の鐘が鳴り響くなか、薫は一気に他のラインをごぼう抜きして、そのまま全力で踏んだ。


「え……これって……かまし先行?」

捲りじゃない!

まだ1周以上ある。

薫は先頭を突っ走って逃げ切るつもりだ。


「マジか……。師匠……かっこよすぎ……。」

聡の声が震えて上ずっている。


「……ええええ!もつの!?もつの!?ええええ!あああ!薫さーんっ!薫さーんっ!!!」

あっという間に最終周回バックにやって来た薫を、あけりはほぼ無意識に呼び続けた。


あけりの声が薫の耳に届く。

薫は、足が軽くなったような、背中に羽根が生えたような……不思議な心地を感じた。





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