君への轍
薫にとって、酸素ボンベは身近なものだ。

競走本番はもちろん、練習の時も、呼吸せずにもがくことは普通によくある。

頑張り過ぎて、吐くことも、酸素が足りずに、目の前がブラックアウトすることも、しょっちゅう経験している。

一時的に酸素が足りないだけでも、死ぬほど苦しい。

それが、ずっと……ってことか?

無理だ……。

そんなの、生きていけるわけがない……。

胸が……痛い……。

適当な言葉が見つからない。

この子が、これ以上、苦しい想いをしないためには……どうすればいいんだろう……。


黙りこくった薫の顔を、あけりは下からじっと見上げた。


……優しいヒト……。

友人や、学校の先生、自転車仲間に病気の報告をしたら、みんな、あけりを可哀想だと思って、以後、腫れ物に触るように扱うようになる。

家族でさえ、あけりの将来に対する期待を捨て、可能な限りの幸せを与えることばかりを考える。

だから、必要以上に、詳しいことは言いたくない。

あけりの外見に惹かれて近づいてくる男子には、言う必要もないと思う。


でも、薫は……もう少し踏み込んで来ているから……潮時だろう。

別れるなら、早いほうがいい。

これ以上、好きになる前に……。

そんなやけくそのような想いが半分……残りの半分は、薫への信頼感。


たぶん、薫は、それでも……あけりを見捨てないのだろう……。

一生を支え、助けてくれる覚悟をしてしまうかもしれない。

その前に……ちゃんと、言わなきゃいけない。


あけりは覚悟を決めて、言った。

「これも個人差があるから、言い切れないけど……妊娠と出産で、病気が進行してしまう可能性も高いの……。」


出産できないことはない。

子供に遺伝することもない。

でも、最悪の場合、満足に子育てすることができなくなるかもしれない。


だから、あけりの母のあいりは、自分が代理母になる可能性も考えてくれている……。



薫は、意外と冷静に話を受け止めていた。

このあけりの難病を吉永家に伝えたら、晃之とあけりを結婚させようなんて思惑は霧散するだろう。

イイ切り札になりそうだ、と。
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