君への轍
「あーざす。……で、師匠は今、どこにいはるんですか?」

『あー。シンガポールや。』

「……え……旅行ですか?」


電話の向こうで、泉が失笑したのがわかった。


「……もしかして……そっちで、練習してるんですか?」

『リハビリや。前に世話になった整体の先生がこっちに移住してはってな。……そっちにおったら梅雨で傷口が疼く気ぃもするし。』


リハビリ……。

ちゃんと、俺との約束通り、次の宮杯に出る気でがんばってはるんだ。

薫は、胸と目頭が熱くなるのを感じた。


『ほんで、自分に頼みがあるねんけど。』

「はいはい?なんですか?なんか、送るんですか?」

『いや……モチベーション続かんのや。……薫、こっち来いひんけ?合宿しよ?』


突然の誘いだった。


「え……俺?……シンガポールにですか?」

驚いて、繰り返してしまった。


『そう言うてるやん。……何やったら、彼女、連れてきてもええで?……あー、高校生か。まだ夏休みちゃうか。』


ドキッとした。

……その高校生の彼女ですけどね……2年間だけ師匠の娘さんだったらしいですよ~……なんて、俺が言うわけにはいかないんだよなあ。

「はあ。……残念ですけど、ちょっと無理ですね。」

薫は感情を押し殺してそう言った。


『まあ、ええわ。お前だけ、来いや。待ってるで。』

「……わかりました。」


薫に拒否権はなかった。

電話を切ってから、薫はスマホの画面をじっと観て……ため息をついた。


とりあえず……飛行機の手配をして……あけりちゃんにはそれから報告するか……。

……合宿……どれぐらいの期間になるのかな……。


げ。

今夜の便も空席ある……。


……いやいやいや。

ピストは明日の朝にしか戻って来ないし、荷物も作りたい。

なにより……あけりちゃんに一度会ってから行きたい……。


明日の空席は……まあ、何もない平日だもんな……いつでもどこでも空いてるか。


どうしよう。

放課後を待ってから関空に向かったのでは、明日の夕方便には間に合わない。

さすがに丸一日以上たってからの飛行機だと……師匠に文句言われそうだしなあ……。


うーん……。

まあ……背に腹は変えられない……かあ。


薫は覚悟を決めると、売店で手土産をいくつも買ってからあけりに電話をかけた。

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