君への轍
薫は、胸が熱くなった。

……本当に……不思議なヒトだ……。

普段は、どうしようもなく傲慢で、自己中心的で、他人どころか家族も恋人も顧みないヒトなのに……たまに見せる情こそがこのヒトの本心かもしれない……と、ついつい期待してしまう。

たまらなく魅力的なヒトだ。

女にも……男にも、モテるわけだ……。




検車場のモニター越しに薫が、バンクのフェンス越しに中沢が、東口夫妻が、そして、午前中の試験を終えて電車で駆け付けた聡までが!泉の復帰戦を見つめていた。

あけりは、バスを待つのももどかしく、タクシーでまっすぐ帰宅して、自室のパソコンでレース映像を見入った。


泉は、いつも通り飄々と登場した。

別段気負う様子も見えず、クールに前方を見つめる泉に、声援と野次が飛ぶ。

今月のお小遣いの残額全てを泉に賭けた聡は、たぶん出走する泉より緊張していた。


スタート後、泉を引っ張る中部の選手は、いつも通り、後方を走った。

そして、いつも通り、残り2周の赤板では先頭まで上がった。

残り1周半の打鐘でスピードを上げる。

泉は番手絶好。

……だが、後ろからすぐに捲りが飛んできた。


普通なら、落車、骨折、欠場あけの第1戦……おとなしく完走できたらそれで充分だろう。

今節はG1とは言え、勝ち上がりに関係のない特選レースならなおさらのこと。


しかし、泉は……いろんな意味で普通ではなかった。


泉は、捲ってきた九州の若手選手に大きく外側に牽制した。

たまらず、その選手は下がってしまった。


……やり過ぎだろう……。


張られた選手が落車しなかったので、泉は失格を免れたが、重大注意走行違反を付けられた。

泉はゴール前で、引っ張ってくれた先行選手をちょい差しして、1着になった。


しかし、泉の止めた九州ラインのほうが人気していたため……客からは盛大な罵声が飛んだ。

泉は飄々としていたが……義憤に燃えた中沢や聡は、大声で泉の勝利を讃えて叫んだ。



「地元の筋で決まってコレって。……舐められたもんだね。」

中沢は、そう言って苦笑しながら、「帯」と呼ばれる100万円の封をした札束をポケットに無造作にしまい込んだ。
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