君への轍
「師匠の車ですよね?……今日は、師匠は?……練習してはるんですか?」

聡が前に身を乗り出してそう尋ねると、ちょうど信号で停車した泉が振り返った。

「マッサージ行って、実家行くゆーてたけど……女のとこ、行くんちゃうけ?……え……。」


泉の表情が変わった。

あけりは、間(ま)に耐えられず、目を伏せた。

「……?」

泉は不思議そうにあけりを凝視している。


……思い出したのだろうか。


「自分……」

泉の言う「自分」は、二人称だ。


あけりは覚悟を決めて、顔を上げた。

視線がバチッと合った。

まるで火花が散ったような……ただ、お互いを見ただけで、空気が変わった。


「ご無沙汰しています。しょーりさん。」

緊張で上ずる声を気合いで落ち着けて、あけりはそう言ってみた。


泉は、怪訝そうに少し首を傾げた。

「……自分……誰?」


はあっ!?

あけりは、思わず目を見開いた。


覚えてない、とか言う?

信じられない。

2年間、家族だったのに!

そこまで、私って……邪魔モノだったのかしら。


唖然として言葉が出ない様子のあけりのために、聡が口を出した。

「しょーりさん、こちら、濱口あけりさんです。かつては、山口あけりさんでした。」

「……あけり……。マジか。」

泉は呆然と呟いた。


あけりの瞳に涙がこみ上げてきた。

「……はい。あけりです。」

ホロホロと、綺麗な涙の玉がこぼれ落ちていくのを、泉は不思議そうに眺めた。

「や。確かに……あいりに似てるっちゃあ似てるけど……全然ちゃうやん。お前。……もっと元気で真っ黒やったやん。なんでそんな、病人みたいな顔してんねん。」


泉にしては動揺しているのが、あけりにも、初対面の聡にもよくわかった。


聡は、苦笑まじりに同意して見せた。

「ええ。僕も、驚きました。かつてのあけりさんは、快活そのものでしたよね。」

「ああ。根性ある、男勝りの子ぉやったで。……せやし、ガールズ競輪の子ぉら見る度に、あけりも選手なればええのにって思ってたんやけど……お前、どうしてんな。色気づいて、自転車辞めたんけ?」

あけりが口を開く前に、信号が青になった。
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